【考察】ゴウセルのこと(第二部終盤時点)
※2018年10月時点の文章です。
ゴウセルは『七つの大罪』のメインキャラクター。副主人公の一人です。
美少女と見紛う容姿ながら正真正銘の男性体。
第一部から第二部半ばまでは、まさに「人形のように」表情に乏しく声の調子も平板でした。
記憶を取り戻してからは表情も豊かになり、ニコニコ愛らしく微笑んで、口調も幾分 柔らかくなっています。
ゴウセルは人形です。
本来の姿は体長40cmほどの球体関節の「
製作者は3000年前の魔神族の魔術士ゴウセル。
彼はマーリンの師の一人で、彼女曰く「偉大な術士」、メリオダス曰く「魔神の王も一目置く程の魔術師」でした。
魔神王直属の精鋭<十戒>の一人に選ばれた彼は、魔界の牢獄に500年間 引きこもっていました。というのも、彼が授かった「無欲」の戒禁には「欲を抱く者から記憶または感情を奪う」呪い効果があったため。欲を抱かぬ者など殆どいません。彼と接した者が片端から記憶や感情を損なう事態を防ぐため、魔神王も彼を隔離するよりなかったのだと、第217話でメリオダスは語っています。
彼は本体を魔界の牢獄に置いたまま、己の感覚や精神を
本体には車椅子が必要だったからでもあるかもしれません。(戒禁を授かっていなかった若い頃は健常だったようです。)ちなみに、車輪ではなく浮遊で移動する魔法の車椅子を使っていました。
「身代わり」として活動している間、人形に自我はありません。しかし同調を切ってモードを切り替えることで固有の自我を起動させることも可能。
この
人形であるゆえに、ゴウセルは眠りません。
みんなが寝静まっている間は、大抵 本を読んで過ごしているようです。
小説版『彼らが残した七つの傷跡』によれば、王国騎士時代はマーリンの屋敷に住み、一晩中 書庫で物語の本を読んで時間を潰していたそう。
壁という壁が本棚で埋めつくされたその部屋は、一見すると、この館の主である魔女の資料室のように見える。
だが、よく見ると、その本棚に納められた本の多くは、魔女が必要とするような図鑑でもなければ研究書でもない。
それらのほとんどは、美しい作り話──物語を記した書物である。
この部屋の住人は、毎夜毎夜、それらの物語を読みふけり、長い夜をやりすごす。
彼は、眠る必要がないのだから。
その身に宿した奇妙な運命のため、常に巨大な鎧と兜に身を包んですごす彼が、唯一それを脱いで素顔を空気にさらすのは、この真夜中の自室でのひとときだけである。
また、小説版『七色の追憶』によれば、オーダン村に潜伏していた数年間は、昼は村長の息子ペリオの使用人として働き、夜は魔神化したデールの潜む洞窟へ行って お喋りしたりしていたとか。眠るどころか休息も必要ないらしい。
眠らないので夢も見ません。
ただし、機能停止して休眠状態になったり、精神干渉系の術をかけられて幻夢に惑わされることはあります。
眠らなくていいゴウセルにベッドは必要ないでしょう。だからか彼が<豚の帽子>亭に加入した際、メリオダスは彼の私室として家具のない屋根裏の物置を与えました。
ところが作中時間で半年ほど後、<豚の帽子>亭の建て直し案を話し合った際、ゴウセルが
「俺の提案は大安定のハット型酒場!! 全ての階が同じ面積!!」
(中略)
「…いや これで一番不当な扱いを受けていた俺も みんなと同じ広さの部屋に住める」
と、珍しく意欲的に発言していました。(番外編『<豚の帽子>亭リニューアルにつきまして』)
素知らぬ顔して「俺の部屋だけ狭い」と不満に思っていたんですね。
人形なので飲み食いしません。酒も飲みませんし、酔いません。
ただし、マーリンが「魔力安定薬」を与えたことがありました(第111話)。彼は吐き出して服用しませんでしたが…。飲食しない人形でも飲み薬は効くんでしょうか?
宴会では彼の前にも当たり前に酒や食べ物が置かれますが、一口も付けずに座っています。
味覚も無いようです。
(劇場版『七つの大罪 天空の囚われ人』のメリオダス曰く「味音痴」。小説版『天空の囚われ人』では「食事は可能だが、味はわからない」と自ら述べていました。やろうと思えば食物を呑み込んで食事の真似事はできるが、あくまで真似に過ぎない、ということでしょうか。)
味覚はない。それでも、作者さん曰く「レシピ通りにするなら」美味しい料理を作れるだろうとのこと。万が一アレンジしてしまったらキケンなようですね。
(3DS版ゲーム『七つの大罪
食物を摂取せず睡眠もとらないのに、何を動力源としているのでしょう。
ゴウセルは前聖戦末期に機能停止し、そのまま当時の妖精王の森…現在のリオネス王城地下で3000年間 休眠状態にありました。
チャンドラーの
前聖戦の末期、ゴウセルは禁呪を行った術士ゴウセルに魔力を提供しました。そのせいで魔力が尽きていた…エネルギー切れを起こしたと仮定します。3000年の休眠がそのせいだとして、どうして目覚めたのか?
ゴウセルがリオネス王城の地下で目覚めたのは、ナージャ姫が地下に入って彼に近付いた、まさにその時でした。
もしかしたら、ゴウセルには周囲の生物から ごく微弱な魔力を吸収する機能があるのかも? あるいは、彼女の持っていたランタンの光を吸収した可能性もあるかもしれません。
味覚はなくとも嗅覚はあります。
キングを体臭で識別していました。
香りに好みがあるのか…例えば花の香りを「いい香り」ゴミの臭いを「不快」と主観的に感じるのか。それとも「●●草の花の臭い」「ゴミの臭気。成分は●●が△%…」などとデータ的に思うだけなのか…は現時点で不明。
また、ゴウセルには痛覚もありません。
ディアンヌに滅多殴りにされて「…いたい」と言ったことはありますが(第59話)、人間の反応の模倣だったようです。
魔力で動く人形であって機械的なロボットではないので(体の中身は空洞になっています)、首が取れたり胸に大穴が開いたり腹を踏み砕かれたり手足が取れたりしても、激痛に悶えたり死んだりすることはありません。疑似的な出血は多少しますが、あくまで見せかけのようです。
生物ではないのでエリザベスの治癒術では回復しません。恐らく、バンやキングの術でも無理でしょう。
その代わり、バンの再生ほど早くはないようですが、かなりの程度まで自己修復できるようです。首が取れてもくっつきますし、腹に開いた大穴はいつの間にか塞がっています。
ただし、魔術的な内部破壊や過大な破損、欠損部位が喪失した場合は、マーリンのような魔術師に修復してもらう必要がある模様。
人形なのに極度の近視であり、眼鏡がないと殆ど ものが見えません。裸眼0.0xレベルかも。術士ゴウセルが、どうして人形の視力を低いまま放置したのかは不明です。
眼鏡無しだと目つきが非常に悪くなります。
宴会中に眼鏡を取った時も しかめっ面になっていましたし(第59話)、バイゼル大喧嘩祭りではエスカノールが わざと眼鏡を盗ったため裸眼での戦闘となり、怒りながら戦っているように見えて非常にコワかったです(苦笑)。ホークも怯えていました(第170話)。
ただし、この件には変化も窺えます。
天空演舞場でのマエルの報復で眼鏡を失った際は(第275-282話)、裸眼なうえ片目を失ってさえいたのに、目つきは一切悪くならず、見えずに不自由している様子もありませんでした。
これは一体どういうこと?
…新聖戦出陣前にマーリンの修理を受け「
視力は低くとも、暗闇でものを判別する暗視機能は搭載されています。灯りがなくとも全く困りません。(バンが鼻クソを飛ばそうとしているのも見える。第93話)
また、様々な計測機能も備えています。その際、内部から「ピッ」「ピピ」と電子アラーム的な音を発することもあります。
- 生物の心拍数を見る(聞く?)だけで計測
- 物質の経過年数を触れて測定
- 闘級を見るだけで測定
(マーリンが自作の魔法具 「バロールの魔眼」を追加搭載したらしい。または、3000年前にマーリンが開発したものを術士ゴウセルが組み込んだ?) - 大きな魔力(闘級)を持つ者の接近を感知
恐らく、事物の大きさや温度なども計測できるのでしょう。
これらは人形としての機能です。
測定機能があるゆえか、人物の識別の際、骨格や声音(声紋?)を、顔立ちや髪形などより重視する傾向があるようです。
ゴウセルは髪型、体毛や肌や目の色を自在に変えることができます。
これも魔力ではなく人形として備えられた機能です。
アニメ版では(ペリオの母風の姿に変身した際)声質まで変えていました。
術士ゴウセルが、着せ替え人形的な楽しみで付けた機能なんでしょうね。
ただし、できるのは あくまで「イメージチェンジ」止まり。体格や性別を変えることはできません。
空気読まずに心読む
ゴウセルの魔力は「
この力は、製作者たる術士ゴウセルの縮小版かと見受けられます。魔力の一部を人形に分け与えたか、あるいは「身代わり人形」として使ううちに自然に移ったのでしょう。
術士ゴウセル本人は、もっと威力や範囲の大きな術を使えるなど、出来ることが多かったようですね。
力を使用するには、手から発した光矢を対象に刺すか、手で直接 触れる必要があります。
回避力の高い相手だと避けられてしまうことも…。日常で使用する際は、相手に気取られぬよう うなじや背中などに秘かに刺すことが多いようです。
他の精神操作・読心系キャラに比べると一手間が掛かるわけですが、双弓ハーリットを使えば一度に大勢に光矢を刺せますし、神器特性「範囲拡大」を用いれば、神器を中心にした一定の範囲内にいる全員を魔力の影響下に置くことも可能です。
双弓ハーリットはゴウセルの神器で、彼の両腕に一つずつ内蔵されている光の弓です。両方同時に使うことも、片方だけ使うことも可能。恐らく、術士ゴウセルが造ったものでしょう。
人形ゴウセルは術士ゴウセルより魔力(闘級)が低かったようなので、人形を使って活動する際は力が出せず不便だったことでしょう。補うための魔力増幅装置として内蔵させたのかもしれません。
人形ゴウセルの視力の悪さを補うためか、ハーリットには「自動追尾モード」も付いており、狙わずとも当てられる仕様になっています。
|
対象に触れるか光矢を刺し、記憶や心の声を読み取る。 |
---|---|
技名不明
|
対象に触れるか光矢を刺し、記憶や認識を改竄する。 |
技名不明
|
対象に触れるか光矢を刺し、記憶や認識を改竄する。 |
|
|
|
|
|
対象に触れるか光矢を刺し、精神世界に潜入する。精神世界内で対象と対話できる。 |
(技名不明) |
対象を光矢(大)で撃ち、幸せな夢を見せて精神世界に閉じ込める。 |
|
対象に触れるか光矢を刺し、トラウマを引き出す悪夢を見せて、恐怖や絶望で精神世界に閉じ込める。 |
|
対象に触れ、神経を10秒間 完全に遮断する。 |
|
感覚の操作・遮断を解除する。 |
|
触れるか光矢を刺した対象の肉体を意のままに操る。
|
|
「 |
|
第三者が操作しているゴーレムや人形に触れるか光矢を刺し、支配権を奪い取って意のままに操作する。
|
|
光矢(大)で貫いた対象単体を気絶させる。 |
|
|
|
人物Aの思考(作戦)を、味方複数に一瞬で伝える。第三者には聞こえないので内容が漏れない。 |
|
|
|
双弓ハーリットの特性「範囲拡大」使用。 |
|
|
|
心を読めるなら さぞや上手く立ち回れるだろうと思いきや、ご存知の通りゴウセルの言動は真逆で、場を白けさせたり凍り付かせたり炎上せたりを繰り返してきました。
人の心や記憶を読んで、隠し事を軽々に暴露する。
他人の感情を理解せず、同調(同情)や配慮がない。むしろ逆撫でする。
いわゆる「空気読めない」というやつです。
彼自身は「自分に心がないために感情を理解できない」のだと説明していました。
そして「心を知り感情を理解したい」からと、周囲の人々の愁嘆場を観察したり、記憶を操作して意のままに扱ったりしました。
- バンがメリオダスを殺そうとしたとき、あえて止めに入らず観察
- ギーラの記憶を書き換えて恋人に成りすまし、肉体関係によって愛の感情を得られるか実験するため、彼女の純潔を奪った
- ディアンヌの記憶を消し、キングとの関係が修復されるか実験した
ついには、バイゼル大喧嘩祭りの優勝賞品で「心」をもらいたいからと、エスカノールら仲間を攻撃し、(精神的に)殺す意思すら見せたものです。
「心が欲しい」という免罪符を掲げたゴウセルの凶行を、ディアンヌもエスカノールも許していました。
ディアンヌ曰く
エスカノール曰く
「たとえ… キミに心がなくたって キミは… 僕の…<七つの大罪>の仲間…だよ」「だから… 仲間の心を弄ぶ<
十戒 >を… 絶対 許せなかった…」
ゴウセルは「心無い」行いをしましたが、二人とも、ゴウセルに本当の意味で心が無いとは思っていなかったようです。
「心を求めて『苦しんだ』『悩む心につけこまれた』故に間違った行動をとってしまった」と考え、それこそゴウセルの「感情に同調(同情)し、配慮」して許したわけです。
二人の見立て通り、ゴウセルには元から心がありました。心が無いというのは、彼の思い込みに過ぎなかったのです。
では、心あるゴウセルが どうして「空気が読めなかった」のでしょうか?
単純なことで、ゴウセルが「自分勝手」だったから、かと。
どうして自分勝手だったのか?
それは彼の経験が足りていなかったから。
人形ゴウセルは精神的に かなり幼いのではないでしょうか。
ゴウセルは3500年ほど前に造られました。
額面通りに受け取るなら、人間より よほど永く生きています。
けれど、人と接する経験は殆ど持たなかったのではないでしょうか。
500年ほどの間、身代わり人形として活動した際の記憶は、データとしては参照できるようですが、あくまで術士ゴウセルの活動記録であって、彼自身の経験にはなっていないようです。そして「
3000年の休眠を経て目覚め、ナージャ姫と恋仲になりました。
しかし、その時期もナージャと その弟のバルトラ以外とは ほぼ接していません。
短期間(1年未満?)でナージャは亡くなり、以降50年弱(45~47年間くらい?)は大罪人として幽閉されていたと思われます。そのうえ、ゴウセル自身がそれまでの自分の記憶を消してしまいました。
王国騎士時代は巨大な鎧を着ていましたから、多くの人間が遠巻きにしていたことでしょう。鎧なしで接していたのはマーリンとエスカノールの二人だけだったようです。
<大罪>離散後、オーダン村でアーマンドとして暮らしていた数年間こそ、彼が多くの人と接する好機となるべきだったでしょう。しかし小説版『七色の追憶』も参照するに、彼は「
知識は豊富で知能も高い。物語の本を沢山読んでいて、登場人物の言動を真似て大人っぽく装うこともできる。
しかし実のところ、人と接した経験は少なく、精神的には幼いままだったのでは。
心が無いから感情が解らなかったのではない。
長期間 特殊な環境に過ごし、人と接した経験が少なかったから、情緒的に未熟なままで対人関係に
ただ、それだけのことだったのでしょう。
ゴウセルは まだまだ成長途中です。
夢見がちな模倣者
ゴウセルは本、厳密には「物語の本」が大好きです。
記憶を消していた時代の彼は
「俺は好きだ―― 心を持つ人間が創り出す物語が」
と独白しており(番外編『彼の居場所』)、人の心を知るための資料として好んでいるかにも見えました。
けれど、真実は違っていたようです。
ゴウセルに初めて本をプレゼントしたのは、半世紀近く昔のリオネスの姫、当時16歳のナージャでした。活発な性質ながら病弱だった彼女は、本の中の物語に夢を託し、心を慰めていたのです。
彼女が「物語の本」を好きだったからゴウセルも好きになった。そして、彼女を愛した記憶を自ら消した後も「本が好き、物語が好き」という気持ちだけは残ったと。
自分には心が無いと思い込んでいた頃のゴウセルも、物語が「好きだ」、読んで「面白い」と素直に語り、周囲に面白かった本を薦めることもしていました。
<大罪>たちは そんな奇行にも慣れっこだったようですが、初めて見たエリザベスとホーク(番外編『彼の居場所』)やアーサー(第153話)は面食らっていました。
ゴウセルは「なりきり」も大好き。
なにしろ、普段の口調ですら本の登場人物の模倣だったのですから。
読者に最も馴染んでいただろう、「俺は~だ」という、幾分堅くて尊大な口調。これはナージャ姫が最も好んでいた冒険物語の主人公・騎士メルドルの模倣です。彼女に愛されたくて彼の口調や振る舞いを真似るようになり、彼女を愛した記憶を消した後も口調は残った。
それ以前は「ボクは~だよ」という幼い少年の口調でした。
ディアンヌの叱咤で記憶を取り戻してからのゴウセルは、上記二つの口調が混じった感じになっています。
一人称は「俺」。でも語尾は柔らかい。
ただし、負い目あるマエルと対話したり戦闘の厳しい局面のような、真摯であるべき場面では、メルドルに近い堅めの口調に戻るようです。
かつては、エリザベスやアーサーら王族を「お前」呼ばわりしてキングに言葉遣いを注意されていたゴウセルですが、場や相手に合わせて口調を変える気遣いが身に付いたようですね。
言葉遣いと言えば、ゴウセルには意外に毒舌な面があります。
かつての「心無い」時代は、まさに心無き・無神経な発言を連発していたものです。
王都決戦でホークが一時死亡した際、
「結果的には
幸運 だった」(中略)「残飯長が死んだことによる 戦力の低下は0 だ なんの支障もない」
と、泣いているバンに向かって言ったのは印象的でした(第100話)。
記憶を取り戻した後も舌鋒は衰えず。
仲直りしようと酒場に誘ったものの何を話せばいいか迷って酔っぱらってしまったキングに向かい、
「酒の力を借りたの?」
(中略)
「ちなみに」「1時間後に お前が この会話を覚えてる鎌率は5%もないよ」
などと、ニコニコ笑いながら酔っ払いキングの発言を いちいち斬り捨てる(第219話)。
同席していたエスカノールが
「ゴウセルくん… 以前より切れ味増してません?」
とオロオロしていたほどです(苦笑)。
彼の毒舌は、己の発言が相手にどんな心証をもたらすか思い至れなかったからでしょう。悪気なく言っていたことが多かったでしょうし、実のところ(相手を言い負かそうという)悪気があったことも、ちょっぴりは あったんじゃないかと見ています。だって彼には心があったんですから。
ホークの死を「
「ゴウセルに悪気はない 許してやれ」
と取り成していました。
同時に「ゴウセル… 与えた(魔力抑制の)鎧はどうした?」と意味深げに尋ねており、彼の毒舌を「魔力の暴走」の一端と捉えていたらしく読み取れます。
しかし、どんな気持ちでディアンヌの記憶を消したのとキングに問われたゴウセルが
「……気持ち? 質問の意味がわからないが?」「他人の記憶を消去するのに なんら必要ないだろう」
と言った際には、一切 取り成さず溜息を
なにしろ、この時のゴウセルは最新型の魔力抑制の腕輪を装備していたのです。即ち、魔力の暴走は関係なく、彼自身の素の言動として暴言を吐いたと証明されてしまった。
悪気がなければ必ずしも許されるわけではありません。
それを教えるためにも、キングがゴウセルを殴ったのも看過したのでしょう。
記憶を取り戻したばかりの頃のゴウセルは、前述したごとく まだまだ毒舌でした。
それでも、他人の記憶を消したり書き換えたりするのは悪いこと…消された本人だけでなく、その人を大切にしている周囲の人の心をも傷つける行為だと、心底から理解できるようになっていました。
この時、彼は微笑んで
「俺はいい人形になりたい」
「そうすれば… そうすれば きっとキングも<七つの大罪>のみんなも 俺を好きになってくれるかもしれない…」
記憶や心を操って都合よく歩み寄らせるのではなく、自分から歩み寄りたい…「本当に」好かれたいと考えるようになれたのではないでしょうか。
ゴウセルは男の娘♡
美少女と見紛う容姿のゴウセル。普段の服装もユニセックスな傾向がありますが、実は本格的な女装も好んでいます。
彼の女装に最初に言及したのは、初登場エピソードの収録された単行本8巻の読者イラストコーナー「<お絵かき騎士団>の間」のキャラコメントです。
ゴウセル
「看板娘」ホーク
「“娘”じゃねーし!!」
加えて、エリザベスとディアンヌが<豚の帽子>亭ウェイトレス服を着たイラストに
ディアンヌ
「ボクたちが噂の美人看板シスターズです♥ なんちって」ゴウセル
「俺も入りたい」エリザベス
「…まだ言ってる…」
というコメントも付いていました。
このおかげで(?)、公式スピンオフ漫画『迷え! 七つの大罪学園!』や読者の二次創作では、早い時期から女装キャラ(似合う)として扱われていたものです。やがてアニメ版第一期最終話で<豚の帽子>亭ウェイトレス服を着た姿がオリジナル要素としてチラリと描かれ、翌年のTVスペシャル『聖戦の
しかし本編漫画の彼が女装を披露したのは遅く、『聖戦の
<大罪>たちはゴウセルの女装をどう思っているのでしょう?
女装自体を否定したことはありません。性癖は自由だと認めているのでしょう。
しかし「似合う、可愛い♡」と誉めそやすこともないですね。
アニメ版のメリオダス、バン、キングは彼が女装で看板娘やアイドルをしたがることに げんなり・またはシラッとした様子を見せたことがあり、彼らの性嗜好が あくまでノーマルであることが示されています。
劇場版『天空の囚われ人』では、<豚の帽子>亭ウェイトレス服を着たゴウセルに、メリオダスがついに「その服は後で買い取るように」と告げていました。元々エリザベス用の制服のスペアなのでしょうから、人形とはいえ
ゴウセルの女装癖は、どのように培われたのでしょうか。
彼の女装初体験は、40数年前、少年だったバルトラ王に強制されてのことだったと、ゴウセル自身が述べています(第220話)。
バン
「んじゃゴウセル てめぇの女装癖は どこでついたんだ~~?」ゴウセル
「それなら答えてもいいよ!」「昔国王 に女装を無理やりさせられたのが初体験!!」
この言い方だと、バルトラが自分の性癖をゴウセルに押し付けたかのようですね。実際、バン、キング、エスカノール、ホークらは、バルトラに倒錯的な趣味があるのだと解釈したようです。
けれど実際は、ゴウセルを姉の傍に付けるために侍女に変装させていただけ。
とんだ風評被害です。ゴウセルの説明は圧倒的に「気遣い」が足りない(苦笑)。
バルトラが初めてゴウセルを女装(侍女に変装)させたとき、ナージャは
「ゴウセルに妙な癖でもついたらどうするの」
と変に心配したものですが、予感的中、まんまと「ハマって」しまったようで。
なんの必要もないのに女装してうろつくし、劇場版『天空の囚われ人』入場者特典コミック『幻を求めて』にて、ついに「可愛いドレス」を欲しがっていると語られるに至ったのでした。
女性用の可愛い服を着るのがゴウセルの公然の趣味!
一方、単行本14巻<お絵かき騎士団>のキャラコメントでは
「今まで秘密にしていたが 俺は看板娘にもなりたいが 王子様にもなりたいのだ」
と告白(?)してもいます。
アイドル的な可愛いポーズと同時に、ヒーロー的な決めポーズや決め台詞も好みますし、ナージャ姫に愛されようと
第228話、怨霊に憑かれたディアンヌを救うべく彼女の精神世界に侵入した際は、騎士メルドルをイメージしたカッコいい服装をしていたものです。
可愛いドレスが好きでも、女性化願望があるわけではないようですね。
ゴウセルと仲間たち
ゴウセルと他キャラとの関係性を、ざっと見てみます。
ゴウセルとメリオダス
ゴウセルが何者だろうと大事な仲間だと明るく言い切る頼もしいリーダー、メリオダス。
彼は術士ゴウセルの旧知で、共に<十戒>に所属し、人形ゴウセルが作られた経緯も承知していました。
ならば最もゴウセルを理解している人物の一人…かと言えば、そうとも限りません。<十戒>統率者時代の彼が接していたのは、あくまで人形を介した術士ゴウセルであり、「
そのうえ、<七つの大罪>王国騎士時代の10年間は、魔力抑制の鎧を着たゴウセルの中身を知らないままでした。<大罪>「色欲」のゴウセルが<十戒>「無欲」のゴウセルの人形だと、オーダン村で鎧を脱いだ彼と再会するまで知らなかったのです。
間の抜けた話です。どうしてマーリンはメリオダスに教えなかったのでしょうか? 黙っておく必要はないと思うのですが…。
メリオダスはメリオダスで、ゴウセルの正体が「
マーリンが知っていたんですから、メリオダスも知っていたと明かしても誰も不審がらなかったと思うのに、どうして無意味な誤魔化しをしたのか…。
単行本17巻(ドルイドの修練窟エピソード)の<お絵かき騎士団>ゴウセルのイラストには、以下のようなキャラコメントが付けられていました。
メリオダス
「お前とはちゃんと腹割って話をしてみてーな」ゴウセル
「望むところだ。わはは。ん? 笑うところじゃないのか?」
メリオダスは人形ゴウセルと腹を割って話したことがなかったんですね。(そもそもメリオダスは誰かと本当に腹を割って話したことってあるのか…?)その後、話はできたのでしょうか。
ゴウセルとホーク
ゴウセルはホークを「残飯長」と呼びます。この呼び方をするのは彼だけ。「残飯処理騎士団団長」の略のようです。さしものゴウセルも正式に呼ぶのは面倒くさかったのでしょうか?(笑)
出会ったばかりの頃、ホークに「わからねぇことがあれば なんでも俺に聞いてくんな!」と言われたゴウセルは
「なぜ 豚が人の言語を話す?」→「知らねーよ」
「なぜ 残飯を食べている?」→「うめーから」
というやり取りの後、「もういい」と興味を失ったようでした(第59話)。有用な情報が得られないと悟ったのでしょうか(笑)。
その後、ホークが灰色ヘンドリクセンに殺されると「結果的には
そんな関係が変化したのは廃都コランド後のチャンドラー戦。
チャンドラーの「
今は、飛行が必要なときはスカイマンタ型に
ゴウセルとエリザベス
エリザベスを「自分を<大罪>に任命したリオネス王の娘なので、その要請を断る理由はない」と定義、「<四大天使>最強のマエルが称賛する凄い人物」と評価しています。護るべき仲間とも認めており、身を挺して庇うことも厭いません。
しかし それ以上の繋がりは、現時点ではないようです。
ゴウセルとバン
<大罪>の仲間・戦友であるバンは気安く親しげに接してきます。現時点では それ以上の繋がりはないように見えます。
ホークの死を「結果的には
ゴウセルとエスカノール
王国騎士時代、二人は共にマーリンの館に暮らしていました。(メリオダス、バン、キングは聖騎士宿舎。)
この頃のゴウセルは恐ろしげな大鎧を常に装備し、決して脱ぐことがありませんでした。マーリンが「魔力暴走の抑制」を
おかげで王国の殆ど誰も……<大罪>仲間のメリオダス、バン、キング、ディアンヌすら……ゴウセルの真の姿を知らず、数少ない例外が、バルトラ、デンゼル、マーリン、そしてエスカノールだったのでした。
ゴウセルはマーリンの館で夜を過ごす間のみ、大鎧を脱いでいました。館自体に魔力抑制の呪が施されてあったのかもしれません。(だとすればエスカノールも、館にいる間は昼でも太陽変身せずにいられたのかも。)そんなわけで、同じ館に住むエスカノールには真の姿をさらしていたわけです。
当時のエスカノールは まだ20代の若者。外見上の年齢差が開いていなかったせいか、恋バナをするなど、他団員とよりも比較的 砕けた関係を築けていたようです。エスカノールが40代になった今は、(精神的にも)年若いままのゴウセルを見守っているような関係に見えます。
そして もう一つ、二人には重要な関わりがありました。太陽変身したエスカノールが傲慢が過ぎて暴走しそうになったら、ゴウセルが「
これはマーリンが与えた役割でした。
そもそも、この二人だけが聖騎士宿舎でなくマーリンの館に住まわせられていたのも、二人共に「危険な暴走をしかねない、不安定な」存在とみなされ、マーリンの監視・監督下に置かれていたからなのでしょう。
太陽変身を抑えるエスカノール専用の
ゴウセルとマーリン
登場当初のマーリンは、ゴウセルと非常に関わり深く見えました。
大鎧、魔法薬、腕輪と、魔力暴走抑制のアイテムを次々与え、毒舌でトラブルを起こせば庇い、言動を観察している。
世話を焼いている(優しい?)ようにも、ゴウセルの自我を殺そうとしている(支配しようとしている?)ようにも見えたものです。
設定が ほぼ出揃った今、振り返って見るに、人形ゴウセルの製造者がマーリンの師たる術士ゴウセルだったため、彼女としては恩師の遺児、あるいは弟分のような感覚だったんでしょうね。自分が管理してやらねばと思っていたのでしょう。
マーリンはゴウセルが人形だと最初から知っていました。そして彼の精神状態の不安定さを案じ、魔力を抑制することで安定させようとした。
とても不思議に思うのですが、どうして そんな対症療法をとったのでしょう。根本を解決しなければ改善しないとは思わなかったのでしょうか。
薬や魔法で症状を抑え込もうとするばかりで、ゴウセルの話を聞いてカウンセリングする気は起きなかったらしい。あくまで「心無き人形」だと認識していたから?
第218話で語ったところによれば、彼女はゴウセルとナージャ姫の件を全く知らなかったのだそうです。だから、どうして彼の精神が不安定なのかも理解できていなかった。
バルトラ王にちょっと話を聞けば、ゴウセルの過去を知ることは容易だったでしょう。なのに10年間王国にいて、彼女はそうしなかった。知識欲旺盛な「
また、魔力抑制のためだからとゴウセルに不便な大鎧を着せ、10年もの間、メリオダスにすら正体を知らせなかったことも奇妙です。
マーリンは意外に ものぐさなんでしょうか?
ゴウセルとアーサー
ドルイドの聖地に滞在した数時間、マーリンを守れず落ち込んでいたアーサーと、キングを怒らせて「空気を読んでいた」ゴウセルは、心理的に仲間から距離を取った者同士、なんとなく一緒にいました。その流れで修練窟での修行にも二人で挑戦。以降、お薦めの本をアーサーに紹介したり、それなりに仲良くなっていたようです。
けれどバイゼル大喧嘩祭り後は、アーサーはキャメロットに帰り、ゴウセルはリオネスの地下牢に入れられて、自然に縁が切れてしまった模様。
ちょっと面白いのは、アーサーがゴウセルを一貫して「さん」付けで呼んでいたこと。ホークのことさえ「豚殿」と「殿」付けで呼ぶのに。どうしてだったんでしょうね。
ゴウセルとスレイダー
LGBT系要素のある者同士、という組み合わせ?
ゴウセル<大罪>合流時の
最初は因縁あるライバル、次に(マーリンから その役を譲られて)母親代わりになったかのように見え、大いに関わり深く思えていましたが…。残念なことに そこで縁は途切れ、以降のゴウセルのドラマには関わっていません。
ゴウセルとギーラ
魔神の血で怪物化して逃亡生活をしていた聖騎士デールに、ゴウセルは魔力抑制の鎧を与えて数年間 匿い、最期を見届けました。アニメ版や小説版では二人の絆が補完・強調され、ゴウセル側は無自覚であったが、二人には友情があったと語られています。
ギーラは、デールの娘です。
父が不名誉な行方不明になった後、幼い弟ジールを護るべく自らも聖騎士を目指し、足りない魔力を補おうと魔神の血を飲みました。
魔神の血が暴走した時、ゴウセルは彼女の記憶を書き換えることで「闇に付け込まれ得る弱さ」を払拭し、暴走を抑えて救っています。
しかし、それは彼女の大切な弟の記憶を消し、ゴウセルを彼女の幼馴染にして師匠にして最愛の婚約者という設定盛り盛りな絶対的立場に置くという、傲慢な行いでもありました。
自分には心が無いと思い込んでいたゴウセルは、それを得るべくメリオダスとバンの友情を観察するうち、恋愛感情の方が有用と判断、恋愛を体験すべくギーラを利用したのでした。曰く「それには 彼女が好都合だった」「俺に悪気はなかった」と。
ゴウセルが彼女の婚約者の立場だったのは四日ほど。その間、ジールは孤独に項垂れ、ギーラの純潔はゴウセルに捧げられました。
それでもギーラは殆ど怒らずに彼を許しました。心の弱さから魔神の血を飲んで罪を犯してきたのは自分の責任、そんな自分を救おうとしてくれたのだし、父デールとの本物の記憶も見せてくれたからと。「ありがとう… 父のことを憶えていてくれて…」という別れ際の台詞からして、ゴウセルが本当に父の友人だったのだと勘付いていたのかもしれません(第114話)。
心も体も弄ばれた少女が寛大にも罪を不問にして立ち去った……という状況でしたけれど、ゴウセルは「フラれた」と感じたようです。ズレてます。
ともあれ、二人の縁はここで切れたようです。後、デンゼルが「ゴウセル討伐作戦」を発令した際、ギーラが動揺してゴウセルを想う場面こそありましたが、それっきり。新聖戦では同じ掃討部隊に属したにもかかわらず、現時点、会話どころか視線を向ける場面すらありません。ギーラが大怪我を負おうと、ゴウセルが近付くこともありませんでした。
でも、ギーラのためには それでいいんでしょうね。彼との関係は終わったのだから。
ゴウセルとペリオ
ペリオはオーダン村の村長の息子で、8~10歳前後に見える幼い少年です。
<大罪>が お尋ね者扱いだった時代、ゴウセルはアーマンドと名を変え、ペリオのお守り役として働いていました。
どうして使用人としてオーダン村に留まったのかという理由を、アーマンド(ゴウセル)は以下のように語ったものです(第53話)。
「大ケガを負って 村の外れに倒れてたところをペリオ坊っちゃんが見つけてくれたんだよ」「もう 何年も前のことさ」「坊っちゃんは小さな手で一所懸命 私を運び 看病に つき添ってくれた…………」「だから私は坊っちゃんの恩義に報いるためにも お守りしたいんだ…!」
幼いペリオに発見された場面、回想イメージを見るに、ゴウセルは胸に大出血しており、苦しそうに意識を失っています。
しかし、奇妙ではないでしょうか。
ゴウセルは人形です。首が落ちようと腹に大穴が開こうとケロリとしたものです。それが怪我を負って倒れていた? 看病を受けた?
また、見た感じ2歳程度の幼いペリオが、たった一人で「村の外れ」まで来ていたのもおかしいし、引きずってだろうと「一人でゴウセルを運んだ」のも変。
小説版『七色の追憶』には、ペリオの思考を語る地の文に
数年前、村はずれに血まみれで倒れていたアーマンドを見つけ、家に連れて帰ってきた日のことはなんとなく覚えているが、そのあと、何がどうなって彼が自分のお守り役になったのかは、今ひとつよくわからない。
とにかく、気がつくと彼はいつもペリオのそばにいて、何かと世話を焼くようになっていたのだ。
とありました。
どうやらゴウセルはペリオや村人たちの記憶や認識を書き換えて使用人アーマンドの座に収まったらしいと読み取れます。
そもそも、ゴウセルがオーダン村に潜伏した本当の理由は、村近くの山に魔神化デールを匿っていたからでした。
小説版『彼らが残した七つの傷跡』によれば、濡れ衣を着せられた<大罪>が王都から逃げた後、ヘンドリクセンは魔神の血で生物を強化する実験を始め、当初は動物や
つまり、デールが魔神の血を飲んだのはそれ以降。最長でも8年前です。従ってゴウセルが魔神化デールと出会ったのも王都から逃げて2年目以降、アーマンドとして暮らした期間は8年以内となります。
逃亡中のゴウセルは、やはり逃亡していた魔神化デールと出会い、自分の魔力暴走抑制の大鎧を譲りました。暴走しかけていたというデールは、きっと大人しくしてはいなかったことでしょう。このとき戦闘があったのなら、オーダン村の外れに現れたゴウセルが血まみれで半裸だったとしても辻褄が合います。
以上から想像するに、アーマンドが語る「ペリオ坊っちゃんへの恩義」は、彼が創作した「物語」ではないかと。
余所者が騒がれず村に居場所を得るには、相応の「物語」が必要だと彼は考えた。村長の幼い息子に助けられ、その恩義から使用人になったという。
ただし、何もかもが嘘というわけではないかもしれません。嘘をつくときは少しの真実を混ぜるのがセオリーだからです。
血まみれのゴウセルがオーダン村の外れに現れて幼いペリオと出会った、それ自体は真実だったのではないでしょうか。ただし、ゴウセルはピンピンしていたでしょうし、ペリオも看病はしていないのでしょう。
ゴウセルがペリオを利用していたのは事実。
とは言え、ギーラを利用した反面で彼女を救ってもいたように、母を亡くした少年を寂しさから救っていたのも事実でしょう。
男性らしからぬ癖毛の長髪は、ペリオの亡き母の肖像画を真似たもの。おっちょこちょいな仕草や喋り方は、小さい頃のペリオが喜んだ旅芸人の模倣。アーマンドという
<大罪>の仲間と合流してオーダン村を去る時、引き止めに来たペリオに、自分はお尋ね者の<大罪>で、アーマンドの名も姿も性格も全て作り物だったと明かすと、ペリオは泣いて怒って
「ふざけるな!! おれが子供だから信じるとでも思ってんのか!?」「本当は……」「本当はおれのことなんて嫌いなんだろーーー!!」
(中略)
「おれは いつか聖騎士になって」「お前を……捕まえてやる!!」
と言いました(第59話)。それに返した「…なら いつか また会えるな」という無表情の台詞にペリオへの情愛を見出すかどうかは、読者に託されています。
この時点のゴウセルは、自分からオーダン村に帰るつもりはなかったようです。
しかし、英雄の立場と記憶を取り戻した数ヶ月後、自らオーダン村に立ち寄りました。
どうしてかは語られていません。お尋ね者ではなくなったのだから堂々と帰れると思ったのか、魔神族の侵攻のなかオーダン村の皆を案じたのか。
ともあれ、村に戻ったゴウセルは村とペリオの危機を救い、王国の英雄として凱旋を果たしました。
ペリオは泣いて笑って言ったものです(第225話)。
「本当にお前は<七つの大罪>だったんだな」「…おれが嫌いで嘘をついたんじゃなかったんだな!!」
この時のペリオの言動から判りますが、彼は「アーマンドの正体が<大罪>だった」ことを、村の誰にも、大人はおろか友達にも喋っていなかったんですね。非常に口の堅い少年です。
「…ペリオは まだ 聖騎士になって俺を捕らえたい?」とゴウセルが問うと、彼は首を横に振って言いました。
「おれは」「お前みたいな聖騎士になりたい…!!」
ゴウセルはペリオの憧れの英雄になった。
ゴウセル自身、まだ発展途上の身ですが、一方では誰かの導きの星になっている。素敵なことだと思います。
ゴウセルとディアンヌ
<大罪>の仲間という繋がりのみだったディアンヌとの関係に+αが加わったのは、彼女が
「…キミたちにとって俺との出会いは ほんの一瞬なのだろうが」「俺にとっては一期一会の友人なんだ」
「その友人として頼みがある…」「未来 に戻ったらゴウセルの友人になってほしい」「どうか 道に迷う彼を導いてやってくれないか…?」
ここで術士ゴウセルが「友人」と言っているのは、自分とディアンヌ&キングのこと。
彼は出会ったばかりの二人を一方的に友人認定し、息子たる人形ゴウセルの後見を頼んだのでした。(この場にキングはいなかったうえ術士ゴウセルに敵意しか持っていなかったのですが…。『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ』で、ディアンヌさえ落とせばキングも受け入れると解っていたんでしょうね。)
ディアンヌは快く引き受けました。
この時、「お願い ボクを正しい方向に導いて」と縋るように訴えた人形ゴウセルは、いかにも幼げで、微笑んで受け入れたディアンヌには大らかな母性が感じられたものです。
そもそもディアンヌは、ゴウセルがギーラの記憶を書き換え、リオネス王都中の人間を気絶させた際、叱って戦って止めたことがありました。
その後でゴウセルが人形だと知ると「ボクは何も知らず頭から否定して… ゴウセルは きっと真剣だったんだろうな…」と心を痛めていたものです(第114話)。
「ボク…も… キングとの大切な記憶を… 理由 はわからないけど忘れていたよ」「…ボクは そんな自分が許せない」
「…けど ボクは取り戻した!!」「それは きっと ボクの心に深く刻まれていたから!!」「大切な想いを消すことは誰にもできないんだ!!」
と言われたこと(第112話)を「激しく責め」られたと感じており(第126話)、彼女の記憶を消して、まんまとキングへの想いが消えたことを確認するや
「だから試してみた」「予想通り簡単に消えたようだ やはり 記憶は所詮ただの情報にすぎない」
とキングに向かって淡々と勝ち誇ったのでした。
この一件でキングは「心底 君を見損なった」とゴウセルを一発殴り、以降一ヶ月強ほど、ディアンヌの記憶が戻るまで険悪なままでしたが、ディアンヌの方は記憶を消されていたと認識してもゴウセルを許していました。既にキングへの想いを新たに芽吹かせて「想いは消えない」ことを証明していましたし、なにしろ彼の父親(術士ゴウセル)から直々に後見を頼まれたのですから。
再会するや「一緒にキミが失くした心を取り戻そう!!!」と促し、逃げ出したゴウセルを追い回して捕まえました。
追いつめられたゴウセルは自分で自分の記憶を消そうとし、止められると
「いらない」「記憶も…心も」「全部いらない」
「…お願いだ 俺を――」「壊してくれ…」
と哀れに呟いたものです。
「しっかりしろ!!! ゴウセル!!!」
「辛かったらボクらがいる!!!」「<七つの大罪>のみんなが…!!!」
「辛い記憶の中にも大切な思い出は必ずあるはずだよ」「思い出してゴウセル!!」
この言葉は、ギーラの事件で叱った際に言ったことと ほぼ同じです(第112話)。
ゴウセル
「以前のギーラの記憶は苦しみに満ちていた… それでも 本物の記憶が幸せだと お前は言うのか?」ディアンヌ
「そうだよ… どんな辛い記憶でもギーラがジールと長い時間をかけて作ってきた思い出は…!!」「きっと かけがえのないものだよ!!!」
この時のゴウセルには響かず、「理解不能」としか言いませんでしたが…。
しかし、機が熟したということでしょう。二度目にそう言われたゴウセルは受け入れることが出来た。失くした辛さで封印していた過去の大切な人たち……術士ゴウセルとナージャ姫……との思い出を取り戻し、「自分は心を持っていた」と認めるに至ったのでした。
ゴウセルの周囲に優しい人たちは沢山いました。彼が間違っても許し、温かく見守ってくれていた人たちは。
しかし、ここまで親身な態度で「叱った」のはディアンヌが初めてだったのではないでしょうか。
心を取り戻したゴウセルは、子供のように無邪気にディアンヌに抱き着こうとしました。嫉妬したキングに阻止されましたが(笑)。
この行動は、かつてナージャ姫に抱き着いた場面と似ています。
また、悪霊に憑かれたディアンヌを救うべく彼女の精神世界に侵入した際、ゴウセルの服装が現実とは違うカッコいいものに変化していました。かつてナージャ姫とデートしたときに着ていた思い出の服です。
以上から、心を取り戻して間もない頃のゴウセルは、ナージャと重ねて、ディアンヌに恋心のタマゴのようなものを抱きかけていたのではと想像します。彼女を救う場面ではカッコいい服でキメたいと(無意識に?)思う程度には。
とは言え、彼女がキングと想い合っていることを十分承知していますから、それ以上に育つことはなかったのでしょう。無事にディアンヌ&キングの「二人と」良好な関係を築くに至っています。
ゴウセルとキング
キングとは戦場で背中を預け合う<大罪>の仲間ですが、互いに踏み込まない、浅い関係でもありました。
10年間 王国で共にいても、キングは大鎧の中のゴウセルの真の姿を知りませんでしたし、王都決戦時に首が落ちても死なない様子を見てディアンヌと抱き合って怯えていたものです。過去の任務では別行動することが多かったのかも? ゴウセルの方もキングを中年男性だと認識し、真の姿が少年だと知りませんでした。
面白いのは、骨格・声音・体臭でキングを識別していた点です。魔力を見れば姿が変わっていても見分けられたのでは? と思ってしまいますが、そうしていない。できないのか、魔力は意外と変動や変質し易くて識別の証には なり得ないものなのか。
劇場版『天空の囚われ人』でも、メリオダスに外見が瓜二つの少年・ソラーダが現れたとき、髪の色・身長・骨格、そして声音・筋力と走り方で見分けていました。メリオダスは魔神族、ソラーダは女神族ですから、魔力を見れば正反対だったでしょうし、闘級だって全く違ったでしょうに。でも、それでは識別しないんですね。
キングとの関係に+αが加わったのは、やはりディアンヌの記憶を消した一件からです。「怒ってやいないよ 心底 君を見損なっただけさ…」と一発殴ったキングは(第126話)、以降ゴウセルに笑顔を向けなくなり、態度は険悪でした。
仲を取り持ったのは記憶を取り戻したディアンヌです。
「ゴウセルは二人共 キングが思うような悪いコじゃないよ」と言い、一緒に彼を
救ってほしいと頼みました(第216話)。術士ゴウセルはディアンヌとキングの「二人」に人形ゴウセルの後見を頼んだのですから。
ゴウセルが心を取り戻すと、キングは彼との関係を築き直そうと歩み寄り始めました。まずは一杯飲んで腹を割って話そうと酒場に誘ったわけですが、人形のゴウセルは酒を呑まなかったので失敗。
この時ゴウセルは、酔っぱらったキングの言葉を聞き、心を読みました。
彼が未だ「キミの全てを許したわけじゃない」「キミが嫌いだ」という気持ちを抱いていること。その一方で「キミとの間に空いた溝をね 少しれも埋めようと思って… れも… 何を話しぇばいいか わからんくて」「ごめんね」と思っていることも本心なのだと(第219話)。
この頃まで、心を取り戻して なお、ゴウセルは「心無い」時代とは また別の方向で無神経(無邪気)な傾向があったと思います。
ディアンヌに気安く抱き着こうとしたのをキングが怒っているのに「どうして邪魔するのキング?」「いつまでも ふくれてないで みんなのところに行こうよ」とケロリと笑っていたり(第218話)、酔っぱらったキングにニコニコ笑いながら切れ味鋭い言葉を浴びせ続けて、同席していたエスカノールをハラハラさせたり。
しかし、この酒席でキングの正直な心情を受け止めて変化したようでした。
ゴウセル
「キングは俺を嫌っている…」「当然だよね… 彼の大切な女性 に 俺は酷いことをした…」エスカノール
「………大丈夫」「キングくんは優しいですから」ゴウセル
「………………」「俺は いい人形になりたい」「そうすれば… そうすればキングも<七つの大罪>のみんなも 俺を好きになってくれるかもしれない…」
ゴウセルが自分のしたことに「償い」と「挽回」の意思を示したのは初めてのことだと思います。ギーラの件では
「俺に悪気はなかった」
「(メリオダスにゲンコツされて言い直し)すまなかった」「俺に心があれば心から謝りたい」
と言いましたが、いかにも口先でしたし、事実、それ以降も人(ディアンヌ)の記憶を弄ぶことを繰り返しましたしね。
以後、キングは努めてゴウセルに親意の言葉をかけ、彼の「魔法の心臓」を
ついにはキングと二人で信頼を必要とした合技を行うなど、現状、<大罪>の仲間で最も絆を強くしているのはキングであるように窺えます。
キング&ディアンヌとゴウセルが会話するとき、これまで通りの「空気読まない」発言で二人を ぎょっとさせてから「気遣いある」発言でフォローするパターンが何度か見られました(第233話、第236話)。
するとキングは決まってディアンヌと顔を見合わせて頷くのです。ゴウセルの精神的な成長に満足したかのように。そしてゴウセルは二人の様子を見ています。ある意味、子供が親や友達の反応を見て世間と交わる方法を学んでいくのに近いのかも。
術士ゴウセルはディアンヌとキングを友人と呼んで、息子である人形ゴウセルを導いてやってくれと頼みました。その角度から見ると、二人はゴウセルの親代わり的な立場でもあると言えるかもしれません。
エスタロッサがマエルだったと露見したとき、自分がマエルに壊されることで償おうとしたゴウセルをキングは庇いました。
「キング もういい お前の気持ちだけで十分だ!!」「俺一人が死ねば それで済むはずだ!! だからキング… 頼む」「俺はもう二度と…大切なものを失いたくないんだ!!」
と止めたゴウセルに、ボロボロのキングは苦笑して言ったものです。
キング
「まったく…………」
「大切な誰かを失う悲しみを知ってるなら」「簡単に死ぬなんて言うなよ……!!」
「…いいね ゴウセル」ゴウセル
「………ごめん」
キングは警戒心も強いですが、一度懐に入れた者は、己の身内…「大切なもの」として全力で護ろうとします。紆余曲折の果てに、キングはゴウセルを
ゴウセルとマエル
術士ゴウセルは聖戦を終わらせるべく、女神族でもトップクラスの戦士だった<四大天使>マエルと彼を知る全ての者の記憶を書き換えました。自分がエスタロッサという魔神だと思い込んだマエルは、今まで護ってきた愛する同胞たちを殺戮したのです。
人形ゴウセルは、術士ゴウセルに魔力を提供して、この行いに無邪気に加担しました。過去の聖戦に関わった全ての種族の あらゆる者が、術士ゴウセルの禁呪で記憶を書き換えられて騙されたなか、人形ゴウセルだけが真実の記憶を保持していたわけです。
当初ゴウセルは、術士ゴウセルの行いを秘匿していました。「キミの作り主のゴウセルは 三千年前 どうやって聖戦を終わらせたの?」とディアンヌに問われても
「ごめんなさい…」「今は まだ話せない」「話していいのか わからない」「話しても納得してくれるか わからない…」
と俯いて口を噤んだものです(第220話)。
新聖戦が始まり、エスタロッサをマエルの仇と錯誤した<四大天使>たちとエスタロッサが熾烈で不毛な殺し合いを繰り返しても、端っこで意味ありげに憂い顔をするばかりで真実を告げませんでした。エスタロッサの精神崩壊と暴走が激しくなろうと、エリザベスが彼に連れ去られようと。
成り行きで禁呪に綻びが生じて術が解けてから、やっと告白しました。
マエルとの心中用の自爆装置の搭載をマーリンに予め頼んでいた辺り、新聖戦で真実を明かさねばと覚悟はしていたようですが、最後まで踏ん切りがつかなかったのでしょう。
ゴウセルは自分がマエルに壊されることで責任を取り、全てを手打ちにしようとしました。
ギーラやディアンヌの記憶を弄んで「記憶とは所詮ただの情報だ 作ることも消すことも たやすい」と欠片も悪びれなかった頃からすれば(第112話)、過ぎるくらいに殊勝になったものです。
紆余曲折の果てに、ゴウセルは明かしました。術士ゴウセルが聖戦を止める手段として「マエルの記憶と存在を書き換える」ことを選んだ本当の理由を。
戦争の中で、マエルが術士ゴウセルの恋人を殺したからだと。
この真相はマエルの怒りを消し、暴走を鎮め、ゴウセルとの和解に運びました。
ゴウセルは どうして土壇場まで真相を明かさなかったのでしょうか。
それを言ってしまったら「マエルこそ悪かった、自業自得だった」ということになって、彼が気の毒だと思ったから?
あるいは、「いや術士ゴウセルも酷い」と言い返されて水掛け論の復讐の連鎖になることを危惧した?
はたまた、命を賭して聖戦を止めた術士ゴウセル(父親)の行動が、実は個人的な復讐に過ぎなかったと明かされて、大義を失ってしまうことを恐れた?
判りませんが、マエル自身は「この私だった 許されざる者は……」と感じたようです。ゴウセルも、そっちも悪いなんてことは言わず「ちゃんと謝りたいんだ」と言っていました(第282話)。互いに謙虚になれたのは幸いなことです。
マエルを救おうとして地上に墜落しかけたゴウセルを、暴走を鎮めたマエルは助けました。
赦し合えた向こうで、二人が新しい友情を築くこともあるのかもしれません。
遺す言葉
術士ゴウセルは己の命を賭して聖戦を止め、父として人形ゴウセルの将来を案じました。これらを見たディアンヌは彼に信頼と好意を向け「悪いコじゃない」と評したものです(第216話)。
しかし他面では、聖戦を止める方法に己の復讐心を満たす道を選んで、重罪と認識しつつ息子を共犯の道に引きずり込み(第273話)、己の手引きによる虐殺から発した怒りや痛みなどの負の感情を受けて「感情の爆発は芸術だ」と陶酔していました(第211話)。
人の記憶や心を弄ろうと何ら罪悪感を感じた様子がない。人の苦しみを見て共感することもない。冷酷非情で、まるで「心無い」人形のようです。彼は人形ゴウセルにとっては愛情深く素晴らしい父親でしたが、その心は一部が欠けていたか、歪んでいたのかもしれません。
考えてみると少し奇妙では。術士ゴウセルと人形ゴウセルの容姿は似ても似つかない。対外的な仕事に使うなら自分そっくりな外見の方がいいのではないでしょうか。
どうして美少女と見紛う外見にしたのか? モデルはいるのか?
その辺りの説明は、第217話でメリオダスの口からされています。
「(術士ゴウセルは)魔神の王も一目置くほどの魔術士だった」「その腕が たたって<十戒>の「無欲」に選ばれちまった」「「無欲」は欲という欲を抱く者 全ての記憶や感情を奪っちまう」「だから魔神の王は 奴を牢へ幽閉せざるを得なかった」
「奴はゴウセルを自分の分身として生み出したのさ」「容姿は恋人と瓜二つ …でも決して情欲を抱かぬよう男の体に作ったんだと」
術士ゴウセルの恋人がグラリーザという名の魔神族の女性だったことは、第282話で人形ゴウセルが説明しました。
とは言え、性格や術士ゴウセルとの接し方などは語られていません。多分、彼女が亡くなった後に人形は作られ、直接の面識はないのでしょう。
ただ、戦争のなかでマエルに殺され、人形ゴウセルの「原型となった」のだと。
恋人そっくりな容姿にしつつ「決して情欲を抱かぬよう」男の体に作った、という説明は、「無欲」の戒禁を思えば納得のいくものではあります。
「無欲」の戒禁は欲を持つ者から記憶や感情を奪う。戒禁の主(術士ゴウセル)も その呪いからは逃れられませんから。
最初は恋人の身代わり…性的な欲求も満たせるラブドールを作るつもりで着手したが、情欲(色欲、性欲)を抱けば戒禁の呪いに掛かると気付いて男性体に変えた。ということではないでしょうか。
『七つの大罪 番外編集<原罪>』収録の作者さんと担当編集さん方三人の座談会に、以下のような「没設定」についての発言がありました。
Y(チーフ編集)
ゴウセルの外伝も内容かなり変わりましたよね。元々は本体ゴウセルとゴウセルがキスしててちょっとBLっぽかったですよね。央(作者)
そうそうそう。BLっぽいっていうか、完全にBLだったのかな。本当は、本体ゴウセルが好きだった女性に見た目だけ似せて作ったのがゴウセルって話だったんだけど。Y
すごい描きづらそうですね。ト(サブ編集)
人形ゴウセルが実はプゴッ(註:えっちなお人形)だったみたいな。央
露骨だけどね(笑)。たとえるならそういうこと。今も男のつもりで人形ゴウセルは描いてるんだけど、男性のために作られたものとしては考えてた。これどこまで書いていいやつなのかな(笑)。
上記の「術士ゴウセルと人形ゴウセルに性的な関係があった」という設定が没になったのは、様々なことを考慮しての判断だったのでしょうが、「戒禁の設定と矛盾してしまう」点も理由の一つだったのではと拝察します。術士ゴウセルが人形に性的な欲望を向けていたのなら、戒禁の呪いに掛かってないとおかしいですからね。…逆説的に、術士ゴウセルと愛し合ったために記憶と感情を失ったという設定も成り立ったのかもしれませんが、その道は選ばれなかったということで。
ともあれ、実際に採用された設定では術士ゴウセルと人形ゴウセルの間に性的関係はなく、術士ゴウセルは「父親として」無欲・無償の愛を人形ゴウセルに注いだ、ということになるようです。
その用途では使用されなかったとはいえ、元々ラブドールとして設計されたからには、ゴウセルには そのための機能も完備されているのでしょう。
その割に、彼は幼子のように無垢に見えました。
なにせ「おっぱいが柔らかいかどうか」で男女の性別を見分け、女性の胸を無遠慮に指で押して笑っていたのですから(外伝『人形は愛を乞う』)。
「無欲」の戒禁を警戒するあまり、術士ゴウセルが強いて性的な知識を与えなかったのかも?
この判別法を
これほどに無垢なゴウセルでしたが、ナージャ姫との交際で少しずつ心を育て、自然と抱き合って愛し合うことを果たしました。
術士ゴウセルが、ラブドールとしての使用を断念しても人形に その機能を付けたままにしておいたのは、こんな未来を見越してのことだったのでしょうか。いつか息子に心から愛する人が出来たとき、肉体的にも愛し合えるようにと。
術士ゴウセルが「人形のゴウセル」を生んだ者なら、ナージャ姫は彼の「人と
この漫画のサブキャラクターの誕生日の多くは、そのキャラの設定に合わせた記念日に定められています。術士ゴウセルの誕生日は4月15日、ナージャは1月5日。どちらも「1・5(いご…
「お前は俺の叶えられなかった夢を叶えてくれ」
でしょうか。
ナージャ姫が遺したのは、その言葉を受けての
「あなたは もう彼の夢を叶えてあげてるじゃない」
と、自分は作り物だから人間とは違う、というゴウセルの言葉を受けての
「何も…違わないわ」「私の中にあるものも あなたの中にあるものも」「ここに
宿 るのは同じ心」
なんでしょうね。
ナージャ姫は術士ゴウセルの「叶えられなかった夢」を、自由に出歩いて自分の手足や目で世界に触れることだと解釈していました。だから、もう夢を叶えていると。
しかし術士ゴウセルは脱獄に成功して外界に出ていたのですから、少し違うような気もします。
彼が叶えたかったのは「愛する人と添い遂げる」ことだったのではないでしょうか。
そう考えれば、夢は半分叶えられ、半分叶わなかったということになるのでしょう。ゴウセルはナージャ姫と想いを通じ合わせたけれど、グラリーザが人生半ばで殺されたように、わずか16歳で彼女は病気に殺されてしまったのですから。
マエルの「純潔の香」で現れたナージャ姫の幻を抱きしめて、ゴウセルは言いました。
ナージャの純潔を奪ったことも、心(と心臓)を奪ったことも、
「俺は何一つ後悔なんてしていない」「たとえ時間が戻っても俺は何度でもキミと出会い同じ道を進む」
「キミは俺の中で唯一の特別で大切な女の子なんだよ」「キミへの想いを ずっと背負って生きていたい」
と。
となると、ギーラの純潔を奪ったのは本当に完全に遊びだった?
…そうかもしれませんが、そういうことでもないのだろうなとも思います。
ナージャはゴウセルが初めて愛し合った女性で、彼女が「唯一の特別で大切な女の子」なのは生涯変わらないでしょう。けれどそれは、生涯 他の女性を愛してはならない、という束縛ではないはずです。
いや、この漫画は「生涯ただ一人の相手だけを愛する」ことを推奨するきらいがありますから、作者さんの意図は違うのかもしれませんが…(苦笑)。
一読者としては思います。
この先ゴウセルが生きていく長い長い人生において、新しく愛し合える誰かを見つけることがあるかもしれない。そうなったとしても、それは罪ではないはずです。そして、その誰かを心から愛そうとも、ナージャ姫が特別だということは変わらないし、それもまた、罪でも裏切りでもないはずです。
術士ゴウセルもナージャ姫も完全な「自由」を持たず、夢見ていた。
過去の別れの辛さから立ち直れたゴウセルが、新しい出会いや別れを重ねながら、この先の道を のびのびと歩いて行ってくれたらいいなと思います。