『七つの大罪』ぼちぼち感想

漫画『七つの大罪』(著:鈴木央)の感想と考察。だいたい的外れ。ネタバレ基本。

【元ネタ】キング、オスロー、ヘルブラム、ゲラード【4/4】

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ヘルブラムのこと

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ヘルブラムに明確な元ネタはありません。

しかし読者間には、シェイクスピアの歌劇『夏の夜の夢』に登場する妖精 パック Puck を彼の原型と見なす解釈が、比較的 浸透しているように思います。

妖精王の第一の側近的な存在であること、身軽で いたずらな性格など、イメージが近いからでしょう。

 

パックは、シェイクスピアの創作キャラクターです。

とは言え、妖精女王ティターニアがそうであるように、完全な無から創ったのではなく、先行の文学作品や伝承から引いた名前や性格を組み合わせ、練り直したものと言われています。

七つの大罪』メインキャラと同じく、元ネタのあるオリジナルキャラというわけですね。

 

 

イギリスでは古く、怪異をもたらす霊的存在を「ポーク Pouke」と呼んでいました。これが「パック Puck」「パッグ Pug」「バッグ Bug」などのバリエーションを生み、アイルランドのプーカ、ウェールズのプッカ、コーンウォールのブッカ、イングランドのピクシー、スコットランドのボーグル(ボギー)、ヨークシャーのボッガードら、各地の妖精名が派生していったとされます。

これらは善と悪の両極面を兼ね備えており、人の命を奪いかねない・そこまでいかずとも人を化かすと恐れられた反面、礼儀正しく接すれば幸を授けてくれるとも考えられていました。

 

 

さて。

16世紀イギリスにおいて、「ロビン・グッドフェロー Robin Good-fellow」なる、キャラクター化された妖精が人気を博していました。

小柄な愛嬌ある姿で(幼い少年、もしくは山羊脚で箒を持った髭のおっさん)、すばしっこくて姿が見えづらく、大変なイタズラ者。動物や道具や鬼火に変身しては、日本で言うタヌキやキツネ的に人を化かし、「ホー! ホー! ホー!」と けたたましい声で嘲笑あざわらいながら逃げ去ります。

けれどミルクやクリームをお供えして正しく祀れば、大量の仕事を夜の間に片づけてくれたりと、「いい奴グッドフェロー」という名前通りの気のいい面も持っているのでした。

 

彼は様々な詩や小説に登場しています。有名なのは1630年前後に発行された『ロビン・グッドフェロー、その悪ふざけと陽気ないたずら ROBIN GOOD-FELLOW,His mad prankes and merry jests.』という大衆向け小冊子です。そこには彼の生い立ちが書かれていました。

 

物語は、夜をさすらう妖精たちを率いる王オベロンが、愛らしくて しっかりした人間の女の子に子供を授けたところから始まります。

女の子は子供の父親が誰なのか知りませんでした。誰に聞かれても こう言ったものです。

「その人は夜にやって来て、夜が明ける前に帰ってしまうの」

経験豊かな産婆は言いました。

「それは妖精以外にあり得ませんね」

それは正解で、その妖精は、己が最高に誠実であることを示しました。

姿は見せないままでしたが、愛しい者に不足が無いよう細々と援助し、赤ちゃんのために亜麻布(おむつ)を備蓄したり美味しくて珍しい食べ物を届けては、貴婦人にするように女の子に仕えたのです。

 

洗礼式が来て、赤ちゃんは名付け親に「ロビン」と名付けられました。

 

彼は、やがて手のつけられないイタズラ小僧に育ちました。

堪りかねた母親は、ついに「反省しないなら、あなたを鞭で打つわよ」と告げたのです。それでロビンは、僅か6歳にして家を飛び出したのでした。

 

放浪の末に仕立て屋の戸口で食べ物をねだると、哀れに思った仕立て屋が住み込みで雇ってくれました。彼は短期間で弟子を仕込みました。

ある時、仕立て屋は急いで結婚式用のドレスを作らねばならず、夜の12時まで必死に仕事を続けました。そして弟子に言ったのです。

「私は寝るから、出来るだけ早く袖を付けといてくれ(whip on the sleeve)」

ロビンはすぐにドレスをピンで吊るすと、袖を取って、ドレスを一晩中、激しく鞭打って折檻しました。

 

朝に起きてきて、この有様を見た仕立て屋は、どういうことかと尋ねました。

ロビンは言われた通りやりましたと答えます。

(「Whip」には「糸で縫い付ける」という意味と「鞭で打つ、折檻する」という意味がある)

 

結局、ロビンは朝食の鍋とお金を取って、仕立て屋から逃げ出しました。

 

少年は一日さまよい、森の中で眠り込みました。

すると不思議な夢を見ました。

妖精王オベロンが、あらゆる妖精を引き連れて訪れたのです。

妖精たちは王の息子のために歌い踊りました。

それが済むと、オベロンはロビンの手を取って、「君は自分が誰の息子なのか解ったかな。望むものは何だって与えよう、これから君は、好きなものに変身できるようになる」と言いました。

 

ロビンは妖精の魔力を手に入れたのです。

馬になれるし、キモい豚にも、鳥、カラスにも、唸る犬にだって変身できます。

 

そしてまた、オベロンは言いました。

この力は正しいことのために使うんだ。悪人以外に意地悪をしてはならない。正直者を愛して、彼らが困っていたら助けてあげなさい。

(※版によっては、オベロンの この警告はありません。)

それが出来たなら、いつか君を妖精界に迎え入れよう、と。

 

ロビンは、妖精の世界の神秘を知りたいと思いました。

父に認めてもらうべく、妖精の力を、愛と正義と ついでにイタズラのために使いはじめたのです。

 

動物や鬼火に化けて、傲慢な人間を化かして懲らしめたり。

年寄りに言い寄られて困っている娘が、同年代の恋人と結ばれるよう手助けをしたり。

強姦されそうになっていた少女を、ウサギに化けて犯人の周囲を ちょろちょろ することで助けたり。妖精ウサギ怖い。

 

人間の女の子を好きになって、深夜にそっと、粉ひきなどの家事を片付けてあげた時期もありました。

覗き見で誰の仕業かを知った女の子は、感謝のしるしに、ボロ服のロビンのために新しいチョッキを あつらえて置いておきました。

覗き見されたことを悟ったロビンは へそを曲げ、「寒くないから服はいらない。ミルクかクリームの方がよかったのに。欲しいのをくれないから もう来ないよ。ホー! ホー! ホー!」と嘲り笑って立ち去ったのでした。

 

バイオリン弾きに変身して、人間の結婚式に紛れ込んだこともありました。

回ってきたロウソクを吹き消して真っ暗闇にして(急に灯りを吹き消すのは妖精の得意技です)、男たちにはパンチ、好みの女の子にはキス、そうでない女の子はお尻をつねったので、男たちは互いに殴り合い、女たちは掴み合いました。

しまいに、結婚式用の特別な飲み物が運ばれてくると、クマに変身して人々を追っ払い、独り占めして飲んでしまいましたとさ。

 

 

オベロンは、ロビンの誠実な行いと陽気なイタズラの数多くを見ていました。

ついに ある晩、枕元で息子を呼んだのです。

「ロビン、息子よ。起きなさい。まず伸びをして あくびして、目をこすりさない。私と来て喜びを味わうんだ。早くおいで、ドラ息子よ。バカ騒ぎが始まったよ」

ロビンが跳ね起きて行くと、オベロン王と大勢の妖精たちがいて、みんな緑の絹の服に身を包んでいました。

彼らはロビンを歓迎し、オベロンはロビンの手を取って踊りに誘いました。演奏家親指トム(イギリスの民間伝承で有名な、親指サイズの小人。日本の「一寸法師」に近い)で、ミソサザイの羽とシラミの皮で作った素晴らしいバグパイプを持っていました。

 

踊りが終わるとオベロン王は息子に言いました。

「私の眷族なかまが笛を吹くのをベッドの中で聞いたなら、夜は私たちと一緒に輪になって踊るんだ。

息子よ、愛してるよ。君を妖精界に連れて行こう。君はそこで、誰も知らないものを見るだろう」

 

そこで彼らは、笛吹きを先頭にして妖精界に行進しました。

オベロン王は、ロビンに『この世では知られていない、妖精界あの世の数多くの神秘』を見せたということです。おしまい。

 

「半妖精の主人公が、父である妖精王に見守られながら冒険する」というモチーフは、半妖精の皇帝オルトニットが、父である妖精王エルベリッヒ(オベロンの原型)の助けで冒険するドイツの英雄譚『オルトニット』に共通するかもしれません。

 

オベロンがロビンに「妖精の力は弱い人々を助けるために使いなさい」と教えたように、エルベリッヒも、オルトニットが異邦人たちを騙し討ちしようとすると「そんな裏切りをしてはならない」と激しく叱って止めていました。

つくづく、オベロン(エルベリッヒ / アルベリッヒ)は不正を嫌う性格なんですね。

 

 

 

シェイクスピアは、この小冊子のロビン・グッドフェローを参考に、パックというキャラクターを創ったと言われています。

(現存する小冊子『ロビン・グッドフェロー、その悪ふざけと~』の発行年は『夏の夜の夢』初公演より30年ほども後です。

しかし『ロビン~』は二部構成になっており(上述の内容の後に、明らかに異なる文体で、ダラダラと妖精賛歌的なことが書き連ねてある)、後半は後世に別の作家が書き足したもので、前半部分は、『夏の夜の~』より20~15年ほど前の、1580年代辺りには既に発行されていたと見られています。)

 

「オベロンの息子」という設定こそ「従者」に変更しましたが、能力や性格は概ねそのまま。 

これは周知のことで、『夏の夜の夢』劇中には「あなたは、あのロビン・グッドフェローでしょ?」と妖精たちに指摘されたパックが、「その通り」と認める場面さえあるのです。 

妖精

私の見間違えでなけりゃ、あなた、あの はしっこくて いたずら者の妖精、ロビン・グッドフェローでしょう?

村の女の子を驚かせたり。ミルクが固まってきたところから掠め盗って、石臼でフウフウ掻き回してバターを作ってた主婦の労力を無にしちゃったり。ビールの泡が立たないようにしたり。夜に出歩く人を化かして笑ったりするのは、あなたなんでしょ?

でも、ホブゴブリン とか 可愛いスイートパック と呼んでくれる人には力を貸して幸せにしてあげるっていう。あなたは、その彼だよね?

 

パック

そのとーり! ボクは浮かれた夜の さすらい人さ。

 

パックは「ホブゴブリン」と呼んでくれた人間には力を貸して幸せにするという。

 

現代のゲームの多くでは、ホブゴブリンは「醜悪で狂暴な亜人モンスター」に描かれがち。「ゴブリン族の上位種族で、より大型で強く狡猾」と定義されることも多いですね。

なので、パックが「ホブゴブリン」と呼ばれて喜ぶことに、ピンとこない人も多いかもしれません。

 

伝承上のホブゴブリンは、ゲームとは全く異なります。

(ゲームのホブゴブリンは、トールキンの小説『指輪物語』シリーズや、その設定を借用した『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(RPGロールプレイングゲームの源流)に影響されたものかと。)

 

本来、ホブゴブリンは「人家やその周辺に出現する霊的存在ゴブリンのうち、人間に友好的なモノ」を指すのです。

 

ホブゴブリン Hob-goblin の頭部分「ホブ / ホップ Hob」は、「ロブ Rob」や「ボブ Bob」の転訛だと考えられています。

「ロブ / ボブ」は、イギリスの男性名「ロバート Robert (『輝く名声、名高い男』ほどの意味)」の愛称・短縮形。

そして「ロビン Robin」もロバートの愛称の一つです。

「ゴブリン」は妖精(怪異を起こす霊的存在)を指す言葉の一つですから、「ホブゴブリン」は「妖精ロビン」と同じ意味の名称だと見なせます。

 

霊的存在(妖精)は祟りを成すモノ。けれど正しく祀れば、家の守護霊となって幸を授けてくれる。

人々はそう考え、霊的存在(ゴブリン、スラストなど、各地で呼称は様々)のうち、人里に現れるモノを、「ホッブ / ホブ」といった愛称で呼びました。

親しげに呼びかけたり、「良き隣人」「いい奴」「小さな友達」などと婉曲に表現することで、彼らを怒らせることを避け、味方に付けようとしたのです。

日本人が悪霊を祀りあげて神に封じる感覚(御霊信仰)と少し近いでしょうか。

 

パックと語源を同じくするらしい各地の妖精たち「プーカ」「ボッガード」「ピクシー」などは、野山や水場にいて人間に害をなす、日本で言う河童や鬼のような存在です。

しかし河童や鬼も、気に入った人間には幸を授けてくれることを、私たちは知っていますよね。

同じように妖精たちも、愛称や美称で親しく呼びかけて丁重に扱えば、幸を授けてくれる。

そのように正しく祀られた、家にいる霊的存在(妖精)が、家事を手伝ったり・家族や家畜を守ってくれる守護霊……日本で言う座敷童のような「ホブゴブリン」になるのです。

  

シェイクスピアはそれを承知していたので、人間にイタズラをする(害をなす)「パック」が、しかし「ホブゴブリン」と呼ばれれば人間を助けるとし、その正体は「ロビン・グッドフェロー」なのだと語ったのでしょう。

 

 

 

ヘルブラムは「人間が大好きで、しばしば人間界へ遊びに行っていた」という設定でした。

その頃の彼は、人里に好んで現れて、時にイタズラしつつも人間を手助けする「いい奴グッドフェロー」「ホブゴブリン」だったのでしょう。

しかし手ひどく裏切られてからは、人間を殺す「悪しきモノ」になった。

そう考えることも出来るかもしれません。

 

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さて。

ヘルブラムには、本性の少年姿の他に 二つの姿があります。

それらにも、それぞれ別の 伝承上の存在 をイメージさせられるような?

 

 

まずはラブ♡ヘルムから。

 

英語の「ヘルメット helmat」の語源は、印欧祖語でかぶとを示す「kelmos」で、これは「kel 隠す・覆う・守る」に由来します。

ここから派生して、古フランク語で大かぶと(『七つの大罪』でも聖騎士たちが被ってる、頭も顔も全部覆い隠して目や口のとこだけ格子やスリットで開けてあるアレです)を「ヘルム helm」と呼びました。

古フランス語で「helme」、英語で「heaume」。これに「小さい」を意味する et を語尾に付けて小型のかぶとを意味させたのが「ヘルメット helmet」です。

 

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言わずもがなですが、ラブ♡ヘルムという名前は「ヘルブラム」のアナグラムであると同時に、「ヘルムが好き♡」の意味に取れますね。

 

 

 

ラブ♡ヘルムは、垂れ布の付いたかぶとそのもの、または 冑と一体化した合羽(マント) のような姿をしています。

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この形を見ていると、どーも連想してしまうものがあります。

それは、ニーベルンゲン伝説群に出てくる「隠れ冑タルンカッペ」。

装備すると姿が見えなくなる魔法具です。

日本の「隠れ蓑」や「隠れ頭巾」「隠れ笠」と同じものですね。

 

隠れ冑タルンカッペ Tarnkappe」の「タルン tarn」は古ドイツ語「テルネン ternen」に由来し「隠す」意味だとされます。そして「カッペ kappe」は古ドイツ語で「フード付きマント(頭巾付きの合羽)」を指していました。しかし現在、「隠れ冑タルンカッペ」はかぶとまたは帽子型のアイテムだと、一般に認識されているそうです。

 

隠れかぶとは、元々、妖精王(小人の王)の持ち物

ニーベルンゲンの歌』では、妖精王アルベリッヒが守っていた一族の財宝の一つ。『ニーベルングの指輪』では、アルベリッヒの弟の鍛冶師 ミーメが作り出したもの。

英雄ジークフリートはこれを使い、姿を消したり・好きな姿に変身したり・一瞬で好きな場所に移動したりしました。

 

お気づきでしょうか。これらの効果、どれも「霊」の特徴を示したものだと。

霊は人の目に見えない・鳥獣や他人など様々な姿をとる(違うものに生まれ変わる)・神出鬼没に現れる。

隠れかぶととは「疑似的に霊の力を行使できる」アイテムなのです。

 

今まで何度も説明してきたように、妖精王は冥王としての面を持ちます。ですから「霊」と同じ力を発揮できる 隠れかぶと は、妖精王の持ち物に相応しい。

ギリシア神話の冥王ハーデスも、やはり、被ると姿が消える 隠れかぶと を持っていたことで知られていますよね。

 

ちなみに、日本の伝承で「隠れ蓑」「隠れ笠」を持っているのは鬼や天狗(まれにキツネ)。鬼は鬼ヶ島(あの世)を支配しています。

古く、日本では霊的存在(鬼)は蓑笠を装備して顔や体が「見えない」とイメージされていました。あの世から来る旅人は「隠れ蓑」や「隠れ笠」で姿を隠して暗がりや夜をさすらう、目に見えにくいモノだと考えられていたのです。

枕草子』に「ミノムシは鬼の捨て子」と書かれているのは、この「鬼は蓑を着ている」という概念のため。

  

そういう諸々がイメージされて、こじつけですけども、ラブ♡ヘルムの姿を見ると「隠れ冑タルンカッペ」を連想するのでした。

思えば彼は、マント(?)の中にジェリコとギーラを包み込んで隠し、一瞬で移動して助けたこともありましたね。

  

 

さて。

隠れ冑タルンカッペ」の出てくるニーベルンゲン伝説はゲルマン系の伝承。

ゲルマンの主神 オーディンは、妖精王アルベリッヒと対の存在であり、世界樹から作られた魔槍を持つ点で、どこかキングとイメージの重なる存在だとは、今まで触れてきました。

 

そんなこんなで、ヘルブラムの霊がかぶとに憑いてキングだけに語りかけるようになったとき、オーディンの神話の一つが浮かんで仕方ありませんでした。

 

一説に、オーディン世界樹の根元に湧く「ミーミルの泉」の水を飲んで叡智(魔力)を得、強力な神になったと言われます。

その泉は、オーディンの伯父にあたる知恵の神(巨人)ミーミルが守護していて、水を飲むのと引き換えに、オーディンに眼球を一つ差し出させました。よって彼は隻眼になったと。(「目を片方失う=半分死ぬ」「知恵を得る=神霊と交霊する」の暗喩。あの世の秘密を知ってレベルアップしたければ臨死体験をせねばならない。)

 

しかし、ミーミルがオーディンに知恵を与えた顛末には、別説があります。 

別の神族との戦争の際、オーディンはミーミルを人質として敵地に送りました。すると敵はミーミルの首を斬り、頭だけを返してよこしたのです。

オーディンはミーミルの頭に不死の薬草を擦り込んで呪文を唱え、自分の傍らに置きました。それ以来、頭は蘇って口をきき、オーディンに様々な助言をして知恵を授けるようになったのだそうです。

 

なんとなーく、ヘルブラムの霊がかぶとに宿ってキングに助言する状況と似ていませんか?

 

 

「死者の頭」は「霊」の暗喩です。

ミーミルの頭に助言を受けるオーディンの姿は、彼が神霊と語らう霊能力者シャーマンであること、霊感(魔力 / 知恵)を持っていることが、古い時代では王に求められる資質の一つだったことを示しています。

ケルト伝承の、巨人のような巨体の王ブランも、死後に頭だけになって助言をしたとされていますね。

イギリスやドイツの民間伝承では、地の果ての井戸(泉)や森の奥に1~3人の「頭」または小人(妖精)がいて、訪れた女の子が正しく振るまえば幸を、悪い女の子には不幸を授けます。寓話化が進んで忘れられかけていますが、根底にあるイメージは「頭・小人(妖精)→神霊」であり、「異界を訪れて それと語らう女の子→巫女シャーマン」なのでしょう。

 

思えばキングは、ヘルブラムの霊と語らうようになってから、妖精王として復権を果たしました。 

まあ、ただの こじつけなんですが。

なんだか面白いなと思った次第です。

 

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最後に、ヘルブラムの老兵姿です。

 

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老兵姿のヘルブラムは、老人にして屈強な武人。そして隻眼でした。

この姿には、とても強く「オーディン」を連想させられます。

 

前述したように、オーディンは「叡智(魔力)」と引き換えに己の片目を差し出し、隻眼になったと言われています。

そして、「隻眼の老戦士」の姿で、人間のふりをして地上をさすらっていると、しばしば伝えられているのです。

 

ヘルブラムの老兵姿と、イメージぴったりじゃないですか!

 

 

何度も触れてきたように、神樹の霊槍を操る妖精の王キングには、世界樹の魔槍を操る神々の王オーディンのイメージが重なります。

その流れで、キングの親友たるヘルブラムに、作者さんはオーディン的な容姿を与えたのではなかろうか。

 

更に言えば『ニーベルングの指輪』は、オーディンとアルベリッヒの対立・代理戦争の物語でもあります。

オーディン≒ヘルブラム」で「アルベリッヒ≒キング」ならば、第一部でキングとヘルブラムが戦ったこととも重なってくるじゃーありませんか。

 

…なーんて。

すみません、こじつけ甚だしいですね。(;'∀')

 

 

最後に、名前のことを。

老兵ヘルブラムの姿のモデルである、700年前の妖精狩りの老兵の名は「アルドリッチ Aldrich」。

これもゲルマン系の名前です。

「アルド Ald」が「古い、老いた、(経験豊かで賢い)」、「リッチ rich」が「王者、支配者、力」なので、「老練な強者、賢き王」くらいの意味になるでしょうか。 

 

ところで。

おや?

アルファベットだと「アルドリッチ Aldrich」と「アルベリッヒ Albrich」って、たったの一文字違いです。しかも、違う文字が「d」と「b」だから、鏡文字みたい。

 

Aldrich

Albrich

 

アルドリッチ(ヘルブラム)とアルベリッヒ(キング)は相似の関係?

なんだか面白いです。

 

 

ラードの名前のこと

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ラードにも、恐らく元ネタはありません。

完全なオリジナルキャラクターかと思われます。

 

しかし、強いて見繕うなら、歌劇『オベロン、または妖精王の誓い』に登場する「ドロル / ドロール Droll」が、パックと共に妖精王を補佐する側近、という立ち位置的に似ているでしょうか。(ドロルは男性ですけども。)

 

ドロルは『オベロン、または~』の元々のシナリオにはおらず、1971年ドイツ公演の短縮版から、狂言回しとして追加されました。

パックと並ぶオベロンの側近で、共に王のため奔走・助言し、物語の解説・進行役をも努めます。

オベロン曰く、ドロルは「最も賢い」「よき友」だと。(パックは「私のパック」。)

 

「ドロル / ドロール Droll」という名前には、英語で「ひょうきんな、気まぐれな、(古風な言い回しで)道化」という意味があります。

しかし、ゲルマン系伝承の「小人のような妖精」もしくは「怪物的な巨人」を指す「トロル / トロール Troll」との相似を指摘する人もいます。 

 

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ちょっと脇道。

 

怪物的な巨人と言えば、『七つの~』には巨人族の始祖 ドロールが登場しますね。

ファンブック『シン約聖書』によれば、その名の綴りは「Drole」。

この綴り、フランス語で「ひょうきんな、胡散臭い、茶番」という意味があります。…ええ、歌劇『オベロン、または~』の「ドロル / ドロール Droll」と、意味が同じなんです。

 

うーーん…(汗)。どうして この綴りを選んだんでしょうか。

てっきり「Dolor」の方の綴りだと思っていたのに。

同じ「ドロール / ドロル」の発音でも、「Dolor」の綴りなら、英語で「疼く痛み、痛みを伴う悲しみ、嘆き」という意味になります。ディアンヌの同輩だった巨人族の女の子「ドロレス Dolores」と同根の名前ですね。 

こっちの綴りだと思っていたから、「ひょうきん」な方の「Drole」でビックリでした。

 

…いや。実は「Drole」には古フランス語で「男らしい男性」という意味もあるようなんで、そっちの意図なんでしょうけどね。

 

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さて。

では、ゲラードの名からは、どんな意味を酌み出せるでしょうか。

 

ファンブックによれば、ゲラードの綴りは「Gerharde」。

これはドイツ系の女性名。

頭部分の「ゲル Ger」には古高ドイツ語で「槍」という意味があるとされています。

これに後ろ部分の「Harde 強い、頑丈、堅い、勇ましい」がくっついて、「槍のように強く勇ましい人」というほどの意味になると。

 

なお、イギリスで使われる「ゲラード」と発音できる女性名には「Gerard」の綴りもあります。(「ジェラード」とカナ表記されることも多い。)

意味は、こちらも変わらないようですね。

 

 

槍を意味する「Ger」は、印欧祖語の *ghaiso- に遡れると言われています。意味は槍の他に「木の枝、ステッキ、(槍で)突く、突進する」など。

 

妄想をたくましくすれば、「槍」には妖精王の霊槍を連想させられますし、「木の枝で突く」とイメージすれば、バンを木の枝で串刺しにした場面を想起させられます。 

そう思うと、なかなか彼女に相応しい名前ではないでしょうか。

 

 

妖精王ハーレクイン
 ⇒妖精王ハーレクイン

西欧の多地域に伝わる「荒猟ワイルド・ハント Wild hunt」は、亡霊・妖精・古の神などの霊的存在の集団が、夜間、暴風のごとく暴れ回る・狩りをする・行進するという民間信仰です。百鬼夜行や亡者行列とも称せるもので、その統率者は死者の王(冥王 / 妖精王)であり、オーディンアーサー王など、各地域・各時代において様々な名で呼ばれています。

 

キリスト教では当初、その存在は認められざるものでした。

というのも、キリスト教の教義では「亡霊」は存在しない・してはならないモノだったからです。

 

キリスト教の根本の教えでは、人の肉体と霊魂は分離せず、死ねば誰しも陰府(暗闇の世界…土中)に下って土となる。しかしキリスト教徒だけは、いつか審判の日が来れば骨土になっていた肉体が再生されて生き返り、地上に築かれた新世界で永遠に楽しく暮らせるとしています。

時代が下ると、霊魂は肉体から分離して、キリスト教徒の霊魂だけは神の傍(天国)で憩い、審判の日が来れば生き返れる。しかしキリスト教徒ではない者や極悪人の霊魂は悪魔の傍(地獄)に落とされ、審判の日が来ようとも許されず永遠に責め苦を与えられ続けると言われるようにもなりました。

 

いずれにせよ、霊魂の行先は厳密に神に定められており、そこから外れてフラフラさすらう亡霊など、いるはずがありません。

亡霊なんてモノは悪魔が見せる まやかしだ。そんな定義がされたりもしましたが、亡霊を見た・夢枕に立ったという報告は後を絶ちませんでした。

祖霊の実在を素朴に信じる、キリスト教以前の先祖伝来の死生観を払拭し尽くすのは困難だったのです。

 

中世に入ると、次第にキリスト教側も迎合し、亡霊の存在を許し始めました。

その際、キリスト教の教義と矛盾させず亡霊を語るための方便として取り入れられたのが、「煉獄(浄罪界)」の概念です。

 

煉獄は、仏教の地獄とよく似ています。

キリスト教の地獄は、一度落ちれば二度と救われることなく永遠に責め苦を与え続けられる場所です。

けれど 煉獄は、ある程度の期間 責め苦を受ける…「煉獄の業火イグニス・プルガトリウスに焼かれ」れば、罪が浄められて赦され、天国へ行ける(審判の日に生き返る権利を得る)場所なのです。また、生きている縁者が死者のために祈りや布施をすると罪が軽減されるとも考えられました。

 

煉獄に行くのは「天国へ行けるほど清くなく、地獄へ行くほど悪くない」者。つまり、世間の大多数の人間は、死ねばそこへ行く。

煉獄は天国と地獄の中間地点で、この世に近い。なので、そこにいる死者は、たまに生者の前に亡霊として現れます。

これは神の采配であって、哀れな亡霊の苦しみを見て、死後に己が煉獄で受ける責め苦を少なくするべく、キリスト教徒として正しく生きよという戒めなのである。…そう理屈づけられたのでした。

 

「煉獄 Purgatorium」という名称が使われるようになったのは13世紀からで、教義として正式に認められたのは15世紀です。(現在、煉獄の存在を唱えているのはカトリック教会で、他の教派は概ね存在を否定しています。)

しかし、罪を許される日まで苦しみながらさまよう亡霊たちとの遭遇譚は、それ以前から文書に記録されていました。

 

 

亡者行列である 「荒猟ワイルド・ハント」も、煉獄の概念と結び付けられ、キリスト教の世界に取り込まれていきました。キリスト教の神の支配の下、天国へ行けず地獄にも落ちず、苦しみながら さすらう、哀れな亡霊たちなのだと。

 

12世紀ノルマンディー(フランス北西部)の修道士 オルデリック・ヴィタリスは、ノルマン人(ゲルマン系民族)の歴史を語る大著『ノルマンディー教会史 Historia ecclesiastica』において、ある司祭に直に取材し、およそ15年前に彼が遭遇したという「荒猟ワイルド・ハント」について記しています。

 

ノルマンディーのボンヌヴォー教会に仕えるウァルフェリンという司祭は、当時 若く、勇敢で、非常に機敏であり、大柄でした。

1091年1月1日の夜、教区の病人を見舞った帰り、明るい上弦の月に照らされながら、人家から離れた寂しい道を歩いていた時のこと。突然、凄まじい轟音が聞こえてきました。まるで武装した軍勢が立てるどよめきのようです。

当時、領主が戦争をしていたので、その軍勢が移動しているのかと思った彼は、逃げるべきか身を守って立ち向かうべきか迷いました。

見れば、道から少し離れた所にセイヨウカリンの木が四本並んでいます。あの木陰に隠れてやり過ごそう。そう思った彼は草葉の陰に駆け寄ろうとしました。

 

ところがです。

不意に大男(巨人)が現れ、ウァルフェリンの先回りをして、通せんぼするように棍棒を振り上げると「ここに留まれ。これ以上進むな」と命じたではありませんか。

恐怖に凍りついた司祭が、持っていた杖に寄り掛かって立ちすくむと、大男は危害を加えることなく、司祭に並んで軍勢の通過を見守り始めました。

 

最初に通ったのは、年齢や服装がバラバラの人々でした。服やら台所用品やら羊やら、あらゆる財産を手に手に運んでいたので、戦場の略奪者の一団のようにさえ見えます。

苦しげに呻きながら歩んでいく彼らの中に、ウァルフェリンは、最近亡くなった幾人かの知人の姿を見ました。

 

次に、墓掘り人夫の一団が現れました。

彼らは二人一組で50の棺桶を運んでおり、その上には頭でっかちの小人たち(赤ん坊?)が座っていました。

ウァルフェリンと並んでいた大男は、この墓掘り人夫の一団に合流して、行列を先導するように去っていきました。

 

行列はまだまだ続いています。

次に、大きな丸太(絞首台)を二人で抱えた黒い肌のエチオピア人が現れました。丸太には男が縛りつけられて(ぶらさげられて?)おり、恐ろしい顔の悪魔が、男の腰と背中を赤熱した拍車で打ち続けています。

血まみれで悲鳴をあげる男の顔に見覚えがありました。二年前にエティエンヌという司祭を殺し、罪を償わないまま死んだ男です。

 

次にやって来たのは、馬に乗った女性の一団でした。

その鞍には燃える釘が突き出ており、風が彼女たちの腰を肘の長さぶんも浮き上がらせては落とすので、焼けた釘に「尻」を穿たれ続けています。乳房には、言うのも憚られる有様で白熱した釘が何本も刺さっていて、女たちは焼けただれて苦痛に泣きながら、ふしだらであった己の罪を告白していました。

ウァルフェリンは この中にも幾人かの知った顔を見ましたが、彼女たちは誰も、生前は高貴な婦人だったのです。

 

次に、十字架を掲げた司教と修道院長に率いられた、聖職者と修道士の集団が現れました。

彼らは黒衣をまとって、ケープや頭巾で顔を隠し、呻いたり喚いたりして己の不幸を嘆いていました。ウァルフェリンに呼びかけて、自分たちのために祈ってほしいと懇願した知人もいました。

これらの中に、生前尊敬していた偉大な司教や修道院長たちの姿を見たので、ウァルフェリンは驚きました。あんなに尊く見えた人々が、どんな罪を犯していたというのでしょうか。

 

次に現れたのは、今までで最も恐ろしい、騎士の一団でした。

巨大な黒い軍馬に乗り(馬の鼻からは炎が吹き出しています)、全身黒づくめで、それぞれが様々な武器を装備した騎士たちは数千人もいるように見え、黒い軍旗を掲げて、戦場に向かっていくかのように見えました。

その中に死んで一年も経たない弁護士にして子爵のランドリがおり、ウァルフェリンを怒鳴りつけると自分の妻のもとへ使者として赴けと命じました。しかし周囲の騎士たちは彼を嘘つきで冷酷な成り上がり者だと馬鹿にし、こいつの言うことは聞かなくていいと言いました。

 

多くの騎士を見送ってから、ウァルフェリンは確信しました。

これこそが、古くから伝わる「ヘルレキヌスの一党 familia Herlechini」なのだと。この亡者行列を見たと語る人が大勢いることは知っていましたが、今まで、信じるどころか馬鹿にしていたのです。

 

であれば、自分も馬鹿にされるだろう。証拠がなければ。

そう考えたウァルフェリンは、前を通っていた乗り手のない黒馬を一頭、捕まえてやろうと考えました。

最初の一頭は取り逃がしましたが、二頭目の行く手を遮ると、乗れと言うかのように立ち止まります。ところがあぶみに足をかけて手綱を掴んだ途端、足には焼けつくような激痛、手には異様な冷気を感じて、たまらず手放してしまいました。

 

すぐに四人の騎士が飛び出してきて、死者の財産を奪おうとは呆れた泥棒だと罵り、これからは お前も行列に加わるのだと脅しました。

けれど中の一人が仲裁し、代わりに自分の妻子に伝言してほしいと頼みました。

その騎士は返せないと判っていて高い金利でお金を貸し、担保を奪ったのです。その罪で重荷を負って行進し続けている。だから、妻子に担保を返すよう伝えてほしい。そうすれば自分の罪も軽減されるはずだと。

 

しかしウァルフェリンは渋りました。

生前のあなたと面識がないし、死者からの伝言なんて信じてもらえない。そもそも罪人の使者なんて まっぴらごめんだ、と。

 

憤怒に駆られた死者は、燃える手でウァルフェリンの首を掴みました。

彼が聖母の名を唱えたとき、別の騎士が剣を掲げて割って入りました。

「弟を殺すつもりか!」

憤怒の騎士は首を解放して身を引きました。

 

割って入った騎士は、若くして死んだウァルフェリンの兄 ロベールでした。

ウァルフェリンは忘れたふりをしましたが、兄が幼少時の兄弟の思い出を色々と語り、両親が死んだ後、お前がフランスに勉強に行って司祭になれたのだって私のおかげじゃないかと指摘すると、ついに耐え切れなくなって泣きました。

 

兄は語りました。お前が馬を盗もうとして感じた激痛は、この行列の死者たちが感じているのと同じものだ。私は戦場で馬に拍車をかけて軽率に大勢を殺した罪で、踵の拍車は燃え(ウァルフェリンには拍車が血で真っ赤に固まっているように見えた)、とてつもなく重くて熱い武具を装備し続けねばならぬ責め苦を負っている。

しかし、ウァルフェリンが司祭に叙階され最初のミサを唱えたとき、やはり死後に責め苦を負わされていた父は行列から解放され、私も盾からは解放された。未だ白熱する剣を携えてはいるものの、今年中には解放されるだろう。

どうか私のことを絶対に忘れないで。そして年内に解放されるよう神に祈ってほしい。

また、お前も近いうちに死ぬので、こんな目に遭わないよう慎んで生きなさいと諭しました。

最後に、ここで見聞きしたことは三日間は誰にも言ってはならないと警告して、兄の亡霊は亡者行列と共に消え去ったのです。

 

修道院に帰り着いたウァルフェリンは、重い病になって一週間寝込みました。

しかし死なずに済んで、看病してくれたリジュー司教ジルベールに、事の次第を報告したのです。

 

取材したオルデリック・ヴィタリスに、それから15年経っても私は生きていますと語りつつ、ウァルフェリンは、憤怒の騎士に燃える手で掴まれた際に付いたという、二度と消えぬ喉の火傷痕を見せてくれたのでした。

 

さて。

上記の話中にハーレクインが登場していたこと、お気づきになられたでしょうか。

 

『ノルマンディー教会史』はラテン語で書かれた文書で、亡者行列を「ヘルレキヌスの一党 familia Herlechiniファミリア・ヘルレキヌス」と呼称しています。familiaファミリアfamilyファミリー の語源。血族だけを指すのではなく、奴隷・使用人・家臣・居候など、その集団を構成する全てを含めた「一家・一族郎党・眷族」を指す。)

これを、お話の舞台である中世フランスの言葉に置き換えれば「エルカンの一党 Mesnie Hellequinメニ・エルカン」になります。

 

中世フランスでは、荒猟ワイルド・ハントは「エルカンの一党メニ・エルカン」の名で知られていました。エルカンという首領に率いられた霊物の集団が、夜道を轟かせて行軍したり、夜の森を暴風と化して吹き荒れたりするのです。 

上記の『ノルマンディー教会史』の話なら、木陰に隠れようとしたウァルフェリンを止めた棍棒を持つ大男(巨人)こそがエルカン(ヘルレキヌス)だと解釈されており、これがエルカンについて記した最初の文書だと言われています。

 

棍棒を持った大男(巨人)」という様相には、どこか古い神の姿を連想させられるかもしれません。

例えばケルト神話の神ダグザは棍棒を持つ太っちょの大男(巨人)で、死と再生 両面の力を持つ冥界神であり、妖精王ミディールの父とされています。

そういえば、インドランド南西部に伝わる荒猟ワイルド・ハントの一つ「ウィシュトの猟犬群ウィシュト・ハウンド Wisht Hounds」でも、それを率いる猟師を「長い狩猟用棍棒を背負い、首に角笛を提げた、黒い巨体の男」と語ることがありますね。

 

エルカンの綴りは「Hellequin / Hellekin / Helekin / Helquin」など複数あります。

バリエーションは多く、「エヌカン Hennequin」、「イルカン Hielekin」、「エルルカン Herlequin / Hierlekin」、「アルルキン Herlekin」、「アルルシャン Arlechin」、「アルルカン Arlequin」などとも呼ばれていました。

 

 

フランスのアルデンヌ県に伝わる民間伝承は、「エルカンの一党」を以下のように語っています。

 

嵐の時など、轟く雷鳴の合間に犬の吠え声や角笛の音が混じり、森の暗がりから猟師の『ほう! ほう!』という掛け声が聞こえてくることがある。

それを聞いた者は すぐさま逃げようとするだろう。しかし目に見えない力に縛られてしまったかのように身動きならなくなる。

やがて、夥しい数の白い小犬たちが藪の中から飛び出してくる。それらの首には鈴が付いている。次に、巨像のように大きなモロソイ犬が100匹あまり飛び出してくる。

その後から、幅広の赤いベルトを締めた、あの「エルカン」が現れる。この王の後ろには従者たちが、ある者は馬で、ある者は徒歩で付き従っている。

行列は けたたましくどよめきながら見えない獲物を追い、一跳びで小川を越え、大きな川を、犬は泳いで、人々は氷の上でも滑るように越えてしまうと、彼らの姿は消え失せて物音一つ聞こえなくなったのだった。

 

 

14世紀フランスの寓話詩『フォーヴェル物語 Roman de Fauvel』では、社会の不吉の前兆として、仮面祭り的な「エルカンの一党」がパリの町を練り歩いています。

 

狡猾で下劣な「馬」フォーヴェルは、馬小屋を出る野心を抱き、「運命の貴婦人ダム・フォーチューヌ Dame Fortune(運命の女神)」に導かれながら、強欲な人間たちを騙して人間社会を のし上がり、ついにフランスの王になって宮廷を開きました。

フォーヴェルは「運命ダム・フォーチューヌ」との結婚を望みます。しかし彼女は「虚栄ヴェン・グロワール Vaine gloire」との結婚を勧めました。

 

「虚栄」との結婚式の夜、パリの十字路に繋がる通りから けたたましい騒音がどよめき渡り、床に入っていた新婚夫婦を叩き起こしました。

布で全身を覆ったり・修道士の頭巾を被ったりと、思い思いの仮装をした人々が、顔にすすを塗って真っ黒にし、手に手に台所用品や家財道具を持って、酔っぱらいを演じながら練り歩いています。

太鼓・かね・鈴・シンバルを打ち鳴らし、通り道の窓を割ったり雨戸を壊したりといった無法ぶり。

彼らは荷車を引いていました。荷台に車輪が仕掛けられていて、重い車輪を手で回転させると固定された六本の鉄棒に当たり、雷のような騒音を立てるのです。また、棺桶を運ぶ者もいました。

一行を先導するのは大男(巨人)で、編み上げ靴を履き、大きな声で喚き立てています。これこそが一党を率いるエルカンだと思われました。

 

彼らが回す車輪は世界の運命、運ぶ棺桶は、これから悪徳栄えるだろう宮廷がもたらす災い、それによる死者の増加を暗示しています。このエルカンの一党は、これから死者になるだろう人々を予告した亡者行列なのです。

パリの人々は、この不吉な祭りと 山車だしに災いの予兆を感じ、恐怖に震えたのでした。

 

このように「エルカンの一党」は様々な文書にも登場しており、中世フランスにおいて よく認知された存在でした。

交流深いイングランドでも、その名は知られていました。

そして。

そこではエルカンの綴りの一つ「Hellequin」が、「ハーレクイン(ハーレキン)」と発音されていたのです。

 

そう。伝承上のハーレクインとは、亡霊・妖精など霊的存在を率いて夜を さすらう異界の王。魔王・冥王・死者の王とも言い換えられる、フランスの伝承に発した妖精王のことなのでした。 

 

 

エルカンの一党が、浄罪を求めて煉獄を彷徨う死者たちの姿ならば、その統率者であるエルカン~ハーレクインは、煉獄の王と見なせます。

ちょっと面白いです。

 

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「Hellequin(エルカン / ハーレクイン)」という名前の語源は何か?

諸説紛々で定説はありません。

 

 

ケルト伝承の ヘルラ王に由来する、という説

12世紀イングランドの聖職者・歴史家 ウォルター・マップが『宮廷閑話集』で述べたもの。

ブリトン人の王 ヘルラは、妖精王(小人の王)の結婚式に出席したところが、妖精界に3日滞在したつもりで人間界では200年も過ぎていました。土産にもらった小犬より先に馬から降りて地に足を付ければ塵になると妖精王に警告されており、しかし小犬が降りないので、今も家臣たちと騎馬行列で彷徨い続けているとされます。

この伝説の王こそがハーレクイン(エルカン)であると。

「ヘルラ Herla」+「古英語で『王』を意味する『cyning』」→「ハーレクイン Hellequin」

 

しかし、起源をケルトに求める この説は、「エルカンの一党」の起源はゲルマンだと考える研究者には不人気です。

 

 

■フランスに実在したとされるエヌカン公に由来する、という説

現在のフランス北部に当たるブローニュを9世紀に支配していた「エヌカン Hennequin」または「エルヌカン Hernequin」公がモデルである、とする説。

彼は北から侵攻してきたノルマン人(ヴァイキング)と勇猛に戦いましたが、最終的に敗死しました。多くの血を流した罪で、死後、部下たちと共に審判の日が来るまで彷徨い続ける定めを神に与えられた、という伝説があるそうです。

 

 

■「シャルル五世」のことだとする説

13世紀フランスの在俗聖職者・詩人 エリナン・ド・フロワモンは、自伝『自分を知る De cognitione sua』にて『ノルマンディー教会史』に書かれたヘルレキヌスの一党のエピソードを批判。親しい人から聞いた実話として、亡霊が次のように語ったと書いています。

「ヘルレキヌスの一党は浄罪が済んだので、もう行列をやめた」「そもそも『ヘルレキヌス』は間違いで、正しくは『カルレキヌス Karlequinus』と呼ぶべきである」。この王は長年責め苦を受けて徘徊していたが、聖ディオニュシウスの仲介によって、先日、解放されたのだと。

 

「カルレキヌス」は、古フランス語で「シャルル五世」を意味する「Charles Quintシャルカン」のラテン語訳と見なせるらしい。「Hellequinエルカン」は「Charles Quintシャルカン」に音が似ている、という語呂合わせからの説のようです。

では「シャルル五世カルレキヌス」って何者? という問題には諸説あり、結局判りません。フランスには同名の王が実在しますが、この文書より未来の人物なので。

 

  

■「地獄の王」の意味だとする説1

19世紀イタリアの民俗学者パオロ・トスキが唱えた説。

「エルカン Hellequin」の頭部分「hell」は「地獄」、後半の「quin」はラテン語の「gens」に由来する。「gens」は血族・親族の意味で、英語で「kin」となり、そこから「king」という言葉が派生した。

よって「地獄の王 hell king」を意味する、と。

また、シューベルトの曲『魔王エルルケーニッヒ Erlkönig』の元ネタである、デンマーク語「妖精王 Ellarkongeエラーコンゲ」も同じ意味だと述べています。 

 

 

■「地獄の王」の意味だとする説2

上記とほぼ同じですが、現代フランスの作家 ジャック・ブロスが『世界樹木神話』で述べたもの。

この名は中世英語「Herle Kingハール・キング」であり、ゲルマン語の「地獄 helle」と英語の「王 king」に由来すると。

 

 

■「地獄の子供」の意味だとする説 

古高ドイツ語で「地獄の子供」を意味する「ヘレンキント Höllenkind」に由来するのでは? という説。

ヘレンキントは子供の戒めに使われた「恐ろしい人さらい」で、いわゆる「黒いサンタ」の系譜に連なる妖精だそうです。詳細不明。

(そういえば、キングが王都中の子供の枕元に一晩でヌイグルミを返したエピソードは、サンタクロースを思わせるものでもありましたね。サンタに類するクリスマスに幸や災いを授ける存在は、西欧各地に様々な名前・姿で伝わっていますが、彼らは「妖精」です。)

 

 

■ゲルマン語で「武装集団」の意味だとする説

「軍隊 Heer」+「民会(武装した自由民の集会) Thing」

 

 

■古フランス語で「混乱」を意味する「harele / herle」に関係するとする説

 

 

■「鳥」と「犬」をイメージした名前だとする説

現代フランスの文学研究者 フィリップ・ヴァルテールが『中世の祝祭 伝説・神話・起源』で述べている説。

エルカンのバリエーションには「アヌカン Annequin」「エヌカン Hennequin」というものもあり、「エーヌ」「アーヌ」という音は古フランス語の「鳥」を連想させ、「カン」という音は犬の名を連想させる。荒猟ワイルド・ハントには猟犬が付き物で、彼らは鳥のように飛んでいく。よって「鳥犬(翼ある犬)」の意味ではないかと彼は言う。

 

 

 

……と、まあ。

見事に、みんな言ってることがバラバラですね(苦笑)。

 

個人的には「地獄の王」説が興味深いです。

「地獄の王=冥王=妖精界の王」と解釈できるので、この説を採るなら、アルベリッヒやオベロンと同じく、ハーレクインは まんま「妖精王」という名前だ、ということになりますから。 

  

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さて。

エルカンの一党を記した文書は次第に数を減らし、16世紀には ほぼ見られなくなりました。

彼らは文学の世界から消え、僅かに民間伝承に残るだけの存在になったのです。

 

しかし17世紀、エルカン(ハーレクイン)は戻ってきました。

それも思いがけない形で。

 

 

16世紀半ばにイタリアで生まれたコメディア・デコルテは、コミカルな仮面劇です。

この劇、独特の形式がありました。

「純朴な農家の青年…ジャンドゥーヤ」「過去の手柄で威張っているが、実は無能で臆病者の退役軍人…イル・カピターノ」「都会的なお姉さまキャラ…ラ・ルッフィアーナ」「儲け話と女が大好きな ごうつく金持ちじじい…パンタローネ」等々、登場キャラの名前や性格、基本的な衣装イメージが固定化されているのです。

それを踏まえて、毎度の愉快なお話を、時にハリセン的な道具でツッコミを入れたりしつつ繰り広げるという。

現代日本で言えば、吉本新喜劇みたいなものですね。

 

当初、コミカルな役割は「ザンニ」という年寄りの従者キャラの担当でした。

しかし、あるコメディア・デコルテの一座が1571年にフランスのパリに巡業した際、座長のザン・ガナッサが、自らの演じるザンニの役名を「アルルカン」に変更したのではないかと言われています。

というのも、コメディア・デコルテは時勢や地元ローカルネタを巧みに取り入れて受けを取るものでしたから。

アルルカン Arlequin」は元々、フランスの民間伝承に残されていた、エルカンの別名の一つでした。

 

この辺りの経緯は不確かです。しかし、ザン・ガナッサの後継者とされる役者トリスタノ・マチェッテッリが、1584年前後のフランスで「アルルカン」の名でコミカル役を演じたのは間違いがありません。

その後、彼は このキャラクターをイタリアに持ち帰り、そこではイタリア風に「アルレッキーノ Arlecchino」と呼ばれました。

アルレッキーノは観客に愛され、独白の場面が作られたりと扱いも大きくなっていって、ついにコメディア・デコルテで最も人気の高いキャラクターになったのです。

 

コメディア・デコルテは、イタリアから広まって欧州各国で上演されるように。そしてアルルカンアルレッキーノは、イギリスでは「ハーレクイン Harlequin」と呼ばれたのでした。

 

なんと、いにしえの神を思わせる姿で亡者行列ワイルド・ハントを率いていた、あの妖精王エルカン(ハーレクイン)が、道化キャラになって戻ってきちゃいました。

 

 

立場は「従者」。怠け者で寝るのが大好き。大食漢で いつもお腹を空かせている。一方で身が軽くて器用で俊敏で、知恵が回り、皮肉屋な面もある。狡猾に立ち回って周囲を引っかき回すこともあれど、決して非道な性格ではない、と。

ただの人間ではなく、芝居によっては魔法を使いました。

人気の高さゆえか、お笑い担当だったはずが、次第に「そんなに馬鹿じゃない、むしろ ちょっとカッコいいかもしんない」キャラとして扱われるようになっていったようです。

 

アルルカン~ハーレクインの衣装は、赤・緑・青・黄・黒など、様々な色をカラフルに使った派手なダイヤ柄(菱形模様チェック)がお決まりで、(エルカンの一党が顔にすすを塗って黒くしていたように)真っ黒い半仮面を着け、オンドリの羽かウサギかキツネのしっぽの飾りの付いた帽子を被っています。

ベルトを締め、携えているのは木剣か長い棍棒(道化棒)。時には、これでハリセンのように叩いてスラップスティックして笑いを取ったのでしょう。

 

元々、中世の宮廷道化師は菱形模様チェック縦縞模様ストライプなど派手な柄の服を着ていたものでした。アルルカン~ハーレクインは本来「お笑い担当 / 道化」でしたから、衣装に そのイメージを投影させたものかと思われます。

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しかし、この服の柄は、やがて彼をこそイメージさせるものとなり、今や一般的に、シンプルな菱形模様チェックを「ハーレクイン・チェック」と称すようになっています。

 

 

イギリスに導入されたコメディア・デコルテは、独自の発展を遂げていきました。

人気者のハーレクインを主役に据え、彼がメロメロに恋するヒロインとして「コロンバイン Columbine」を置きました。

彼女はイタリアのコメディア・デコルテではコロンビーナ Columbina と呼ばれ、スタイルのいい美少女で「ごうつく金持ちじじい」パンタローネのメイド、もしくは娘です。「メインカップルの恋の応援をする」脇キャラでしたが、こちらでは彼女が恋の主役になりました。

 

ちなみに、コロンバイン/コロンビーナは花の名前です。

オダマキを指します。

コロンバインとは「鳩のような」という意味で、オダマキの花が鳩が翼を広げて飛ぶ姿に似ている、または つぼみの形が羽を閉じた鳩に似ていることから、この名が付いたと言われています。

オダマキ花言葉が「愚か」なのは、喜劇のコロンバインと同じ名前だからだそうな。

 

18~19世紀に隆盛して、ハーレクインを主役に様々な(基本プロットは似た感じの)ストーリーで上演され続けた、この道化芝居は、主役にちなんで「ハーレクィネイド harlequinade」と呼ばれました。基本的に台詞のないパントマイム劇で、メインのオペラやバレエの後に上演されていたそうです。

 

かつてはバレエを「パントマイム」と呼んでいたのが、いつしかハーレクィネイド劇を指すように。

 

なお、バレエにはハーレクィネイドのキャラとプロットを取り込んだ演目があります。本家のハーレクィネイドが廃れた20世紀初頭に作られたもので、日本ではフランス語読みの「アルレキナーダ」というタイトルで紹介されることが多いようです。

コロンビーヌ(コロンバイン)は、金持ちと結婚させようとする父の思惑をよそに、貧しい道化役者アルルカン(ハーレクイン)と密かに夜のデートを重ねていました。それを発見した父の召使に窓から落とされてアルルカンは死んでしまう。ところが女神が彼を生き返らせたうえ魔法の杖をくれたので、百万長者になったアルルカンは、彼女の父にも祝福されて、コロンビーヌと結婚できたとさ。

 

ハーレクィネイド劇は衣装や大道具に凝っており、大がかりな舞台転換が見ものだったそうです。

舞台転換は「ハーレクインの魔法」だとの演出がされていて、彼は魔法の棍棒、またはスラップスティック(先が二枚の板になっていて、振るとカチャッと音の鳴る棒。ハリセンやピコピコハンマー的なツッコミ道具)を振るって魔法を使い、物を消したり出したり、人を化かしたり、舞台さえ転換させるのです。

 

 

様々な障害に翻弄されながらも、愛に生きるハーレクインとコロンバイン。

二人を別れさせようと躍起に追い回す、コロンバインの父もしくは横恋慕する雇い主であるパンタルーン(パンタローネ)。

その従者で、様々なドタバタの妨害を仕掛けて二人の邪魔をする道化者の「クラウン Clown」。そして警官隊やら ちびっこ道化たちやら。

いやあ、ブコメですね。

 

 

ハーレクィネイドによって、ハーレクインには「無数のバリエーションで語られ続ける恋愛物語の主人公」というイメージが浸透しました。

カナダに本社のある、大人の男女のロマンチックな恋愛小説専門の出版社が、ハーレクイン・エンタープライズという社名なのは、そこに由来するそうです。

 

今となっては、ハーレクインと言えば「ハーレクイン・ロマンス小説」か「喜劇の道化」のイメージ。元の妖精王ハーレクイン(エルカン)は、すっかり忘れ去られてしまいました。

 

 

亡者行列を率いる妖精王が、いつしか、恋のため波乱を越えて戦い続ける、恋愛ものヒーローの代名詞に。

思えば、オベロンも時代が下るにつれてドンドン恋愛脳になってましたっけ。

 

もはやブコメ王!

七つの大罪』のキング(ハーレクイン)含め、彼ら妖精王は、すべからく そこに行きつく運命さだめなのでしょうか(笑)?

 

いや、大衆がそれを望んだのだ。

今も昔も、人々はラブコメが大好きなのだから。 

 

…って結論でいいのかしらん(笑)。

 

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最後に。

七つの大罪』のキャラはアーサー王伝説が元ネタなんじゃないのか、伝承上のハーレクインはアーサー王とは無関係じゃん、と思う方もいらっしゃるかもしれません。

いえいえ。ハーレクイン(エルカン)もアーサー王物語群のキャラクターに含まれています。

 

13世紀フランスの作曲家アダン・ド・ラ・アルによる『葉陰の劇 Jeu de la feuillée』(1276年)は、フランス北部の町アラスの人々を描いたローカルな世俗劇です。

主人公のアダン(作者と同じ名前)は友人と共に、葉が付いたままの枝で町の広場に簡素な仮小屋を作り、食卓を用意しました。この町の風習で、定められた日の夜に妖精が来るとされていたからです。お彼岸の供えものみたいですね。

 

中世フランスには、五月祭に葉や花が付いたままの枝で娘たちが仮小屋を作り、町で最も美しい娘を飾り立てて小屋の中心に座らせ、周囲に他の娘が侍る風習があったそうです。

 

仮小屋にやって来たのは三人の女妖精。モルグ Morgue(モルガン・ル・フェイ)と、彼女の侍女(もしくは、とりまきの友人)であるアルシル Arsile とマグロール Maglore です。

妖精は、素敵な小屋を設置して ご馳走を供えてくれたくれた人間に幸を与える習わしなのでした。(モルグは、車輪を掴んだ「運命の女神フォーチューヌ Fortune」は、自分たちの仲間だと述べる。言わずもがなですが、車輪は「世界、運命」の象徴です。)

モルグは中央の席に座ります。彼女とアルシルは素敵な食卓に満足して、小屋を用意したアダンと友人に良い予言を与えます。しかしマグロールは、自分の席だけにナイフがなかったことに腹を立て、不吉な予言を与えるのです。

 

三人の他に、妖精界を支配する妖精王エルカン Hellekin の使者 クロックゾ Crokesos が来ていました。

エルカンはモルグに求愛しており、彼女は王に永遠の愛を誓うことを、クロックゾに伝言したのでした。

 

 

妖精王エルカン(ハーレクイン)は、アーサー王物語群の登場人物であるモルガン・ル・フェイの恋人(夫)である。

これを以て、彼もアーサー王物語群の登場人物だとみなされています。

 

ちなみに、この劇でのエルカンの綴りは「Hellekin」。

これを英語読みで発音すると「ヘレキン」になるのでした。 

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さて。

ハーレクィネイド系のパントマイム劇にも、ハーレクインと絡んでアーサー王物語の登場人物が出演しています。

それは、魔術師マーリンです。

 

ルイス・シオボルド脚本『マーリン、またはストーンヘンジの悪魔 Merlin: or the Devil at Stonehenge』(1734年)は、主人公はハーレクイン、彼が恋するコロンバイン? は魔術師マーリンのメイド、という内容だったそうです。

 

アーロン・ヒル脚本『恋するマーリン、または青少年に対する魔術 Merlin in Love, or: Youth Against Magic』(1760年)では、コロンバインに横恋慕したマーリンが、彼女に魔法をかけてハーレクインから奪ってしまいます。

しかし、やがて自分が魔法で操られていたことに気付いたコロンバインは、まだ魔法が解けていないフリをして、愛想よく、少し魔法の杖を貸してくださいとマーリンに おねだりしました。言葉巧みに使い方を教えさせて、すかさず彼を魔法でロバに変えたのです。そして意気揚々と恋人ハーレクインのもとに帰りましたとさ。…という話だったそうです。

 

なんと、マーリンはハーレクインの恋敵だったんですね。

 

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以上です。

 

むっちゃ長文で、読むのは大変だったかと思います。

ここまで お付き合い下さった方に感謝します。ありがとうございました。

 

 

 

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