【感想】小説 七つの大罪 ―外伝― 七色の追憶
『小説 七つの大罪 ―外伝― 昔日の王都 七つの願い』『小説 七つの大罪 ―外伝― 彼らが残した七つの傷跡』に続く、松田版 外伝小説の三巻目です。この作者さんの小説シリーズは、これで ひとまず終了なのだそう。また新作が読めるといいですね。
前二巻が「わんぱく三人組と三王女の子供時代」で共通していたので、てっきりこの小説シリーズは そこ固定なのかと思っていたら、本巻は それ以外のキャラに話が移動。スレイダー、そして ついに<大罪>のゴウセル、キングの過去にスポットが当てられました。やったぁ!♡♡
ところで、『週刊少年マガジン』に ここ数週間 載ってる この小説の紹介文には「メインはゴウセル・スレイダー・ディアンヌの3人!!」と書かれてあるのです。
ディアンヌじゃなくてキングじゃん…。(小説作者さんの解説を先に読んで「??」と思い、実際に読んでビックリしました。騙されたぁ~。)
表紙に描かれてるのもディアンヌだし(キングはいない)、彼が主役の一人だってことを隠さなきゃいけない理由でも あるのだろーか(^^;)。
今巻は、今までの巻とは違って、大枠の物語が存在しません。
いや、厳密には「枠」はあります。
「ドルイドの聖地を出発~キング離脱」期間中の<豚の帽子>亭で、ゴウセル、スレイダー、キングが「虹の思い出」を語ったり思い出したりする、というもの。
しかし、前二巻のような枠独自の物語(それまでの伏線や話が一本にまとまって盛り上がる的な)はありませんでした。
そのため、今までの巻で最も構成がシンプル。心情も(気のせいかもですが)今までで一番、平易に開いた表現で書かれている風に感じました。
ちょっと児童文庫っぽい空気があったかも。(死体はゴロゴロしてますけどね…)
三キャラの設定や過去が より深く知れて、面白かったです。
実は今回、初めて小説作者さんのブログ(梅枝庵)を拝読しました。
電子書籍版の配信開始が紙版より少し遅かったので、待ちきれなくて、せめてレビュー読みたいなーと検索していたら、偶然。
そうしたら まあ。
小説シリーズの様々な裏話や、書き切れなかった設定、打ち合わせ時の原作者さんのラクガキに至るまで、色々載っているではありませんか。
もっと早く読んでいればよかった! と後悔したくらいです。面白かった。
小説の作者さんが、こんなにも真摯に原作に向き合って、聖騎士や三王女の過去編では(執筆途中に発表された)誕生日の設定も考慮して時期と年齢を細かく設定していたり(小さな子供は、同じ年齢でも齢の初めと終わりで全く成長度が違うから、と)、締め切りギリギリまで、進行していく原作と齟齬が出ないよう原作サイドに確認・修正して気を遣っていたと知って、驚き感心しました。
また、小説2巻に登場した「
へえー。
スピンオフにも色々ありますが、こんな風に互いに影響し合って作品が成長していくのって、いいですね。
今回の小説の内容も、各話ごとに しっかり解説されていました。
(すごく興味深かったです。公開してくださってありがとうこざいます~と、チキンなので ここに書く。)
さて。
既に正解(小説作者さんによる解説)が公開されているわけで、私(考察ブログ)の文章は いつにも増して蛇足&的外れでしかありませんが。以下、いつもの自分なりの各話感想です。
『第一話 消えない虹 Story of Gowther』の感想
ドルイドの聖地を出発して(恐らく)数時間後、移動中の<豚の帽子>亭。
エリザベスが虹を発見したことから、虹にまつわる思い出語りが始まります。
ゴウセルが語ったのは、ほんの少し前、アーマンドとして過ごしたオーダンの村での出来事。
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ある日、彼が世話をしていた村長の幼い息子・ペリオの姿が見当たらなくなります。
それまでの経緯から「消えない虹」を探して一人で森の奥へ向かったのだと見当をつけたゴウセルは、誰にも告げず後を追いました。
というのも、森の奥に魔神化デールを匿っていたからです。
近頃いよいよ精神の崩壊 著しくなってきた彼とペリオが出遭えば、どうなるか。
森の奥で三者は合流し、「消えない虹」の正体を見ます。
なんと、魔神化デールとゴウセルのコンビネーションで危機を回避。(デールさんは、元々とても博識な人だったんですね。ゴウセルのデータベースにないこと・ギルが喜びそうなことを知っている。)
ペリオの記憶を書き換えて事件を「なかったこと」にしつつも、デールの様子から、この暮らしの終わりが近いことを、仄かな感傷と共に予感するゴウセルなのでした。
おしまい。
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その後しばらくして、メリオダスたちがオーダンの村に来たそうです。
王都決戦が3月20日で、このお話では「冬の風」が吹いています。ゴウセル合流から王都決戦まで一ヶ月程度と見積もるなら、この物語は、メリオダスたちと合流する二、三ヶ月前(12~1月)あたりでしょうか。
「ペリオが亡き母を慕い、その遺した影を追って保護者から離れる」モチーフには、先日放送されたスペシャルTVアニメ『聖戦の
たまたま少し似ただけかもしれませんが、上述の
アーマンド時代のゴウセルの暮らしが、主にゴウセル視点で描かれていたのが、非常に興味深かったです。
道化じみたアーマンドを演じながらも、内心では理性的・論理的に思考し、物事を じっくり分析していたんですね。
となると、今のゴウセルも同じなんでしょう。女装したり一人芝居したり、表面的には ぽややんな不思議ちゃんに見えるけれど、頭では冷静に論理的思考を展開していて、そのうえで「<
そういえば、本編漫画20巻のおたよりコーナーのコメントに
ホーク
「こいつ(ゴウセル)って何も考えてないよな 絶対」ゴウセル
「残念だが 一つの物事につき 瞬時に数十パターンは思考をシミュレートしている」
という会話がありましたっけ。
ゴウセルとペリオの関係には、もう少し優しくて甘やかなものをイメージしていました。
けれどゴウセルの視点で見ると、思っていたよりドライだったんですね…。
いや。
勿論、アーマンドを演じているのこそが、彼にペリオへの「情」がある証左です。彼のために動き回り、害を及ぼすものは「排除」してでも守ろうともしていました。
けれど、想像していたものより固い歯応え…。
驚いたのは、ペリオの記憶を、自分の都合に合わせて何の躊躇も感慨もなく、消去・書き換えていたことです。
ペリオだけではありません。
なんと、村人全員の記憶を書き換えて、それによって「皆に親しまれる村長の使用人」という立場を得ていたんですね。
数年前、村はずれに血まみれで倒れていたアーマンドを見つけ、家に連れて帰ってきた日のことはなんとなく覚えているが、そのあと、何がどうなって彼が自分のお守り役になったのかは、今ひとつよくわからない。
とにかく、気がつくと彼はいつもペリオのそばにいて、何かと世話を焼くようになっていたのだ。
言われてみれば、確かにそうです。
田舎の村で、ひょっと現れた余所者が、村長の息子のお守りになって村の全員に好意的に受け入れられているなんて、おかしな話でした。
ほのぼのと暮らしてたように見えたけど、精神介入してたんだ…。
ちなみに、村人たちが「森には山神さまがいる」「あの吠え声は山神さまのものだ」と恐れて森に入らなくなっていたのも、魔神化デールを守るために、ゴウセルが村人たちの記憶や精神に干渉していたからでした。
……原作の時点で疑問に思っていたんですが。
原作によれば、数年前、オーダンの村外れに大怪我を負って倒れていた(絵で見るに、上半身裸で胸が血まみれ)アーマンドを、幼いペリオが小さな手で一生懸命運んで看護に付き添った、と。その恩義からアーマンドは彼のお守り役になったと説明されていました。
でも、当時のペリオは 物心つくかつかないかくらいの幼児です。(2、3歳くらいに見える。)そんな幼児が村外れに一人で来て、大人一人を引きずって家まで連れ帰れるものでしょうか?
それに。
そもそも、ゴウセルが血まみれの大怪我をしたうえ看護を必要とするか?
怪我自体は、魔神化デールに大鎧を与える際に、暴走していた彼に負わされたと考えれば辻褄は合います。
しかし、わざわざ森からオーダンの村外れに移動して、そこで倒れるのは不自然です。
何故って、彼は人形で、怪我をしても さしてダメージに ならないはずだから。
怪我を押して村外れに何とか辿り着いて力尽きて倒れた…なんてことはあり得ません。
胸に大穴を開けられようが、首を切り落とされようが、ケロリとしている男なのですから。
以上から。
「幼いペリオが大怪我をしていたアーマンドを助けた」というエピソード自体が、ゴウセルが「捏造した記憶」…そこまでいかなくても、一部が「演技」「捏造」だったんじゃないでしょうか。
(胸に穴が開いた状態で村に来て、それを幼いペリオに見られた、辺りまでは真実なのかもしれない。でも、ペリオが運んで看病したくだりは捏造なのかも?)
ゴウセルは、森に匿った魔神化デールをフォローするべく、森近くのオーダンの村人に成りすまそうと考えた。
なるべく自然に村人の一員になるため「旅人だったが、村長の息子に助けられ、恩義を感じて使用人になった」という物語を作ったんじゃないでしょうか。
原作漫画では、ゴウセルとペリオの絆が目立って描かれていて、魔神化デールとは親しい交流はなかったように見えました。
TVアニメ版(原作者による絵コンテ)ではペリオの存在がカットされ、ゴウセルと魔神化デールの友情が濃く描かれていました。
そして今回の小説です。
TVアニメ版の要素を取り込んで、ペリオとの絆よりも、魔神化デールとの友情の方が、より強く描かれていたように感じました。
ゴウセルは毎日、昼はアーマンドとして働き、夜にペリオが眠ると森の洞窟へ出かけ、夜明けまでデールと話していたんだそうです。(ゴウセルは睡眠を必要としないので。)
初遭遇時にデールを殺さず、鎧を与えて匿ったのは、彼が「望んだ結果ではな」く「人の手によって作り出された怪物」だと推測した途端、「なぜかゴウセルは、彼を殺すことができなくなった」から。
それがなぜなのか、ゴウセル自身にもわからない。
…ゴウセルが<十戒>の一員だったと判明したとき、元は人形じゃなかったんじゃないか、血の通った本当の体がどこかに隠されているんじゃないか、と想像したことがありました。
でも最近の本編漫画で、<十戒>だった当時のゴウセルがチラリと登場したのを見たら、フキダシの枠線が今と同じ直線。
どうも、ゴウセルは<十戒>だった当時から人形だった、ってことらしい。
となれば、ゴウセルが「望まないのに、人の手によって作られた存在」であるデールに同情・感情移入したのは、3000年前から、彼自身が同じ悩みを抱えていたから、ってことなるんでしょうか。
ベリアルインで創られた魔導人形だった・感情、特に『愛』を知りたいと思っていた・ついにそれを知ることができたが、その瞬間に己の戒禁に呪われて記憶と感情を失った
みたいな?
さて。
ゴウセルとペリオの絆が、今まで思ってたほど『ほのぼの』したものではなかったんだな、と決定的に感じたのは、思い出話が終わった後の、今の<豚の帽子>亭で仲間たちと話す場面を読んででした。
「ペリオかぁ、懐かしいな。あのチビ、元気かね」
「私はお会いできなかったんですよね……あのときは風邪で寝ていましたから。ゴウセルさまも、ベリオくんといつかまた会えるといいですね」
エリザベスの言葉に、ゴウセルは首をかしげた。
「――それはどうだろう。ベリオは別れぎわ、いつか聖騎士になって俺を捕まえると言っていた。もう俺はお尋ね者ではないので、その可能性はなくなったかもしれない」
「だったら、普通に会いに行けばいいじゃないですか。この戦いが終わったら」
エリザベスは微笑む。
「そうですよ! 早く終わらせましょう!」
頭の上に奇妙な猫を乗せた少年・アーサーが明るく言った。
「その可能性はかなり低いと言わざるを得ない」
また淡々と事実を述べ始めたゴウセルを、やれやれ、という顔でマーリンが見ている。
仲間たちはゴウセルが「いつかペリオに会いに行きたい」と言うことを期待して話を振っています。しかし空気が読めないゴウセルは、頑なに否定・拒絶し続ける。
私、「普通にペリオに会いに行けばいい」と言われてなお、ゴウセルが「その可能性はかなり低い」と拒絶したのが、ほんのり寂しかったのです(苦笑)。
そっか~。ゴウセルにとって、オーダンの村での暮らしは「終わったこと」で、自ら縁を結び直したいほどではなかったんですね。
ペリオを大事にお守りしてたけど、それはギーラの恋人を演じていた時、彼女に優しく接したり愛を囁いたり、甲斐甲斐しい恋人ぶりを見せていたのと同じようなことだったのかもしれない。
どこまでが演技か? 真情はあるのか?
罪深い男やで~。
あ。最後に二つ。
「こんな死に方したくない」ランキング上位かもしんない。
そして。以下の一文が、なんかグッときました。
店を運ぶ巨大豚の息子でもある喋る子豚・ホークは、いつもお腹を空かしている。
ホークちゃん、いつもお腹を空かせてたのか…。
そんなこと言われると、よしよし食べなさい食べなさいって気持ちになりますね。メリオダスは破産しそうだけど。
『第二話 虹の水晶 Story of Slader』の感想
スレイダーと<
漫画本編では(スレイダーとサイモン以外)殆ど活躍することなく死亡・退場してしまった<
しかし、非常に陰惨な話でもありました。
バルトラ王は慈悲深き王と言われているけれど、陰では、障害となるモノを闇に葬らせている。
そして王命に従い、大勢の人間を淡々と殺して任務をこなす<
初登場時点で「標的を殺すだけの任務につく 最悪の戦闘騎士団だ」と説明されていたので今更ですけど、魔物ではなく人間を、王の都合で躊躇なくサクサクと殺し、死体が城中にゴロゴロという情景は、なかなか、吐き気を催しそうな恐ろしさがありました。
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ゴウセルの思い出話が終わると、ヘンドリクセンが暗い顔で三階に上がりました。
自分が魔神の血で運命を狂わせたデールの話題が辛かったみたいですね。
入れ替わりにスレイダーが屋根裏部屋から降りてきて、話に加わります。
酒を呑むため仮面を外すと(エリザベス含め、一同は彼の素顔を初めて見た模様)、声音も口調もガラッと変化。けれど誰もそれを奇異に思わない。
精神力が魔力に直結する聖騎士には、特定の衣装や武器を身につけることで気分を切りかえる者は、さほど珍しくないのである。
だそうです。へぇー。
虹にまつわる思い出話を聞かせてくれとメリオダスに言われて、スレイダーは数年前の任務について話しました。
14年前、リオネス王妃・キャロラインが親友たちと郊外の泉に遊びに行って、無残に魔物に殺されたとき、彼女の装身具の幾つかが行方不明になっていました。
そのうち二つは魔力を持つアイテム。
一つは<幸運の月>のコイン。
表に人の横顔を模した三日月が彫り込まれた金貨で、迷った時に安全な道を示してくれます。コインを投げて表が出たら左、裏が出たら右へ進むのが「良い」ルートだとか。(月だけにツキをもたらしてくれる、ってコトですか 笑)
元はバルトラ王の持ち物で、王妃に贈ったのだそうです。
もう一つは<虹の水晶>。
子供の親指大の虹色の水晶が付いたペンダントで、ドルイドの癒しの力がこもっており、触れると心身を癒して幸福感をもたらすのです。
これらは王妃の惨死の どさくさで 野に落ちたかどうかして失われ、闇に流通していったらしい…。
それから10年以上が過ぎた、2、3年ほど前のこと。
<幸運の月>は都の
暁闇 に欠け、<癒やしの虹>は醜きものに輝く
<
<幸運の月>の方は、リオネス王都をうろつく盗賊団から簡単に奪い返せましたが、<虹の水晶>の方は少し厄介でした。それを持っているらしいアーヴィング卿が、僅かながら王家の血を引く高位貴族だったからです。
このアーヴィング卿、親兄弟も離れるほどの残虐・強欲なゲスクズ。<幸運の月>を盗賊団に与えて盗みをさせていたのも彼。
彼の城では、さらわれてきた子供たちが劣悪な環境で働かされていました。
気まぐれに殺される彼らの唯一の救いは、たまに触れさせてもらえる<虹の水晶>。触れると癒やしの力で多幸感が得られるので、子供たちは麻薬のようにそれに依存していました。
その城に攻め入る<
高位貴族? 王家の血を引く? そんなの関係ない。王の命こそが至上。
僅かに生きのびていた子供たちだけを残し、彼らは城の住人を容易く皆殺しにし、「
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小説作者さんのブログによれば
前半の〈幸運の月〉盗賊団の話は、鈴木先生がコミックス限定版の付録アニメDVDのために描きおろされたネーム(しかし没になったらしい)を元にしています。
だそうです。
…どこまでが前半?
非番中のスレイダーが盗賊を叩きのめすところ? その後 王に報告してコインの効能を聞くところまでかな?
<虹の水晶>の話や設定の方は、丸々、この小説のために新しく作られたものっぽいですね。
非番中のスレイダーが素顔で彼氏とデートしてると騒動が発生→スレイダーは騎士としての実力を見せて騒動を収める→しかし彼氏には逃げられる
という流れは、王都決戦時(第68話)と同じですね。
スレイダーさん、非番の度に こういう目に遭っているのでしょうか。
その他、小説作者さんのブログに書いてあった設定含め、面白いなと思ったことを箇条書きで。
- スレイダーの誕生日 4月4日は、本当の誕生日ではない。
蛮族にさらわれて使役されていた彼に本当の誕生日の記憶はなく、バルトラ王に救い出された日を誕生日に決めた。 - サイモンは原作本編の現時点で18歳くらい。
- スレイダーは、彼氏には「スレイちゃん」と呼ばれている。
- ジリアン曰く、スレイダーの男の好みは「気が優しくて力持ち、みたいな感じ」で「ルックス的には幅広い」。
さて。
この話のもう一人の主役が、さらわれて アーヴィング卿の城で働かされていた子供の一人「
ひときわ醜い容貌ながら、生きのびた運・生きのびたいという意思を持っていた彼女は、他の子供たちと共に王都に保護され、後に旅の魔術師の弟子になって王都を離れたとのこと。
それを聞いたマーリン曰く
「魔術師は顔を隠している者も多いし、逆に醜い方がそれらしく見えると、わざと顔を汚す者もあるほどだからな。その娘の醜貌も気になるまい」
マーリンの弟子のビビアンを思い出しました。
彼女は己の顔にコンプレックスがあって仮面をかぶっているという設定でしたから。(今は、仮面をかぶらない代わりに変身の魔法を使うようになった?)
小説の作者さん曰く、テテルは、似た生い立ちだったスレイダーの鏡のような存在として登場させた、そうで。
テテルは「女なのに醜い」自分に苦しみつつ、生きのびるために性別を偽っていました。
じゃあ、その鏡であるスレイダーは?
「男なのに女の心を持つ(女なのに醜い)」自分に苦しみつつ、生きのびるために己を偽っていたんでしょうか。
スレイダーはテテルに言いました。醜い顔が嫌なら、仮面や化粧で隠せばいいと。
「素顔のときより、顔を隠してるときの方が本音が言えるなんて人も、いくらでもいるでしょ」
スレイダーが仮面をかぶると女性的になるのは、「心は女なのに体は男の自分」を隠し、女性である本当の心を晒しているから、なんですかね?
『第三話 約束の虹 Story of King』の感想
最後の話は、キングの回想です。
今回は一貫して、本名の「ハーレクイン」表記で地の文が書かれていました。
(原作漫画から時間経過を推測すれば、)朝にキャメロットでゴウセルと喧嘩し、昼に
ディアンヌは朝に記憶をなくして失踪したままなのに、マーリンとメリオダスの判断で捜索は中断されています。
楽しげな仲間たちの輪に混ざる気分になれないキングは、人の来ない場所を探して落ち着いた見張り台で、ぼんやりしていました。
からかいながらも慰めるのは、亡霊となったヘルブラム。
原作ではオスローも見張り台にいましたけど、今回の小説ではいなかったです。この後で来るのかな?
(この せいぜい数時間後に、オスローの挙動からエレイン復活を察知して、<豚の帽子>亭から離脱することになるはず。)
◆◇◆◇◆
……と、書いていますが。
私が原作から推測してきた上述の時間経過とは、この小説の時間経過設定は違うみたいです。
ラストシーンが、「夕暮れの一番星を、<豚の帽子>亭の見張り台からキングとヘルブラムが見る」というもの…その日の夜になってもキングが<豚の帽子>亭にいたことになってますから。
原作でキングが<豚の帽子>亭を離脱するとき、ホークは未だ
食べたものを消化してウンコをすれば、ホークの
ゴウセル用の魔力安定剤を拾い食いして おかしくなったときも、サンドクローラーや赤き魔神を食べて
つまり、キングが離脱したとき(まだ夕暮れになっていなかった)、ホークがドルイドの聖地で
加えて、バンとディアンヌの各エピソードから、メリオダスと大喧嘩祭りで合流するまでの日にちを数えても、キングが<豚の帽子>亭を離脱したのは、ドルイドの聖地を出た当日でなければ、辻褄が合わ…ない…ように、私には思えた。のでしたが…。
(参考までに。昔、王都決戦からの時間経過を表にしてみたことがあります。)
うーん、でも。
原作の設定に綿密に沿う姿勢の公式小説で、こう書かれたからには、この解釈は間違っていたと思うしかない、んでしょうね…。
キングの離脱はドルイドの聖地を出てから一日以上後だと。
ちぇー。残念でした。(´・ω・`)
となると。
- ホークは
暴龍 を食べた後、一日以上 便秘した。 - バンやディアンヌら、<十戒>たちは時空の歪みに巻き込まれている。
- または時間経過に関連する、原作の彼らのセリフ(特に、ディアンヌとマトローナの会話)が間違っている。
- または、原作で同日に並行して起きたかのように描かれている出来事(青い魔神が大喧嘩祭りのチラシを撒いて、各キャラが拾ったエピソードなど)が、それぞれ違う日。
などということになるでしょうか。
◆◇◆◇◆
大半の人には どーでもいいだろう話は置いといて、小説の感想に戻ります。
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見張り台のキングとヘルブラムも、エリザベスが見つけたのと同じ虹を見ていました。
虹を見ると妖精界を思い出すよとヘルブラムは言います。神樹は雨を貯め込んでは放出しているので、梢のどこかには大抵 小さな虹が架かっていたのだそうです。
そしてキングは、虹にまつわる もう一つの記憶を思い出すのでした。ディアンヌと二人で人間界の森に暮らしていた時代に見た、滝に架かる小さな虹と、『約束の虹』という曲の旋律を。
ハーレクインとディアンヌが暮らす森に、ある日、人間の旅人が入り込みました。
「狩人のおじさん」を例外にして、人間にあまりいい感情を持たないハーレクインでしたが、なんだかんだで彼の命を救うことになり、関わりを持つことになります。
旅人はテリー(テレンス)という、ハーレクインの見かけより少し年長に見える少年で、笛を大事そうに持っていました。
彼は旅芸人で、元は家族同然の一座と共に各地を回っていました。しかし少し前、練習をさぼって森で昼寝していた間に、一座が何者かに襲われ、残らず殺されていたそうです。
金目のものは盗られていない。女も子供も乱暴されることなく、ただ斬り殺されている。まるで、殺すこと自体が目的であるかのように。
後で知ったことには、その辺りでは昔から 似た事件が何度か起きていたそうで、「人を殺すことだけが好きな、おかしなヤツがうろうろしてた」んじゃないかとテリーは言いました。
人間はろくでもない、同族同士で意味なく殺し合うなんて人間くらいのものだと毒づくハーレクイン。
テリーを特に可愛がって笛を教えてくれていたマリウス老人は、テリーが戻ったとき、辛うじて息がありました。そして自分の笛を託して息絶えたそうです。
なのでテリーは、マリウスに習っていた『約束の虹』という曲を演奏できるようになって報いたい。死にゆく彼に約束したから。なのに、練習をいつも怠けていたので、曲の最後がどうだったか思い出せない。
それで、マリウスが若い頃にその曲を作った場所…「いつも虹が出ている<虹の滝>」を探して、この森に来たのだそうです。その場所で演奏すれば思い出せる気がするからと。
けれど、この森にある滝は暗くて、虹は出ません。
…ハーレクインは気付きました。そのマリウス老人が若い頃、滝の周囲の木々は今よりも少なかったのではないか。木々を間引いて日が差し込むようにすれば、虹が出るに違いない。
自分でも不思議なことに、どの木を間引けば どこまで日が差し込むようになるか、どの木が弱っているかが、ハーレクインには手に取るように判るのでした。
ディアンヌの協力で木を間引くと、果たして、滝に虹が架かりました。
テリーは曲を完璧に演奏します。
その音色を聞いたハーレクインの脳裏には、未だ完全に思い出せない妹や親友の姿がよぎり、何故なのか強い後悔や悲しみで胸が詰まって、知らず涙をこぼしてしまいました。無邪気に喜ぶディアンヌがアンコールをせがんだのを、思わず「ダメだ!」と強い口調で止めてしまったほどに。
そして、自分は ここでディアンヌと幸せに暮らしていていいのかという、常に彼を苛んでいる不安に、またも囚われて苦しんだのです。
テリーの一件から長い年月が過ぎ、以降は『まちぼうけの妖精王』終盤の再現となります。
人間の村を襲うヘルブラムと遭遇し、かつてテリーの一座を殺したのも彼だったのだと悟りました。
「人間を信用してヒドイ目に遭ったら止める」というヘルブラムとの約束を果たし、代わりに「必ず戻る」というディアンヌとの約束を諦めます。
ハーレクインはふと、あの笛吹きの少年、テレンスの言葉を思い出す。
『僕は、自分が怠け者だったことを本当に後悔してる――明日は今日と同じように続くし、ちょっと怠けたってそのうち取り返せるって、そう思ってたんだ』
本当にそうだ、と、ハーレクインは思った。
今日と同じ明日が必ず来るとは限らない。
約束は、必ず果たせるとは限らない。
ヘルブラムを救えなかった。ディアンヌのもとへ戻れなかった。
約束は、本当に二度と果たせないのでしょうか?
場面は現在へ。
<豚の帽子>亭の見張り台で過去を思っていたキングは、知らず、テリーの笛の旋律を口ずさんでいました。
「――ずっと昔、人間の子供に教わった曲さ…… 『約束の虹』っていうんだ」
その少年の身内を殺したのはヘルブラムだ、ということは、ハーレクインは口にしなかった。
そんなことを言っても仕方ないことはわかっていたし、それに、何よりも、今のヘルブラムは何もかも知っているような気もしたからだ。
「約束は、虹のように儚いって意味なのかなぁ」
するとヘルブラムは『そうかもねぇ』と同意しつつ、笑って続けたのでした。
『でも、虹はまたいつか、違う場所に架かるだろ? だから、一度破られたように見えても、違うところで何度でもやり直せるってことかもしれんよ。チミが俺っちを、何度も救ってくれたようにさ』
「ヘルブラム……」
ハーレクインは声を詰まらせた。
キングは考えます。守れなかった約束を果たせる日が、今は許せない人々を許せる日が、いつか来るのだろうかと。
そして行方知れずのディアンヌを想い、改めて彼女に誓うのでした。
何度も虹が架かるように、何度でも思い出す。
(いつかきっと、あの約束を果たすよ――……)
きっとキミの元に戻るから。
おしまい。
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読んだ第一の感想は「チクチク痛い」でした。あまりいい読後感じゃなかったです。
『まちぼうけの妖精王』は大好きで、キングとディアンヌの過去を扱った小説を、『セブンデイズ』が出た頃から楽しみに待っていたのに、どうしてだろう?
自分でもよく判らなかったので、数日おいて考えてみました。
思うに。
ハーレクインの「不安」や「後悔」ばかりが描かれているからかと。
ディアンヌと暮らしていた時代は幸せでもあったはずなのに、そちら側の描写が非常に希薄でした。
原作の『まちぼうけ~』にある「君をずっと好きでいる」のやり取りや「キミの元に必ず戻る」という約束は取り上げられていますし、物語のラストは、その約束をキングが改めて誓う、という美しいものになってはいます。
しかし、肝心の「一緒に暮らしていた時代」に、ハーレクインがどんな風にディアンヌを好きだったのか・何に幸せを感じていたかが、ほぼ描写されていないので、折角の美しいラストが唐突に思えるほど。
とにかくもう、ひたすらハーレクインが「本当にここにいて いいのか? 自分は間違っているのでは?」と不安がり続けていて。
もっと「きゅんとできる」方向の描写も欲しかったなあ。
そしてもう一つ。
これは私が勝手に感じたことなんで、ごめんなさい。殆ど言いがかりになります。
このお話、キングに対してキビシクないですか?(^^;)
たとえば、キングがメリオダスやゴウセルを許せないことについて。
この十年間に、リオネス王国に起きた出来事には、とても一口では語れない複雑な事情が入り組んでいた。
関わり合いになった者のほぼ全員が、どこかで大きな過ちを犯していたし、強い後悔に苛まれている。
それでも、結局のところ、その一連の出来事は、これからこの王国を――いや、ブリタニア全土を襲おうとしている、未曽有の危機の予兆にしか過ぎなかったのだ。
だから、悔やんだり悲しんだり、誰かを恨んだり、そんなことに囚われている時間はない。
今はみんなで力を合わせ、迫りくる脅威に立ち向かわなければならない。
「……そんなことは、わかってる」
ハーレクインは呟く。
わかってる。わかっているけれど。
どうしても、気持ちの整理がつかない。
魔物に取り憑かれていたとはいえ、
親友 の体と魂を実験台にし、ついには死に追いやったヘンドリクセン。何かを――おそらく決定的な何かを知っているくせに、それを決して語ろうとしないメリオダスとマーリン。
そして誰よりも、自分のもっとも大切な“彼女”の心を弄んだゴウセル。
今のままの気持ちで、彼らと心をひとつにして戦うことなど、とうてい出来はしない。
『やれやれ……相変わらず頑固だね、チミは。いずれ後悔するにきまってるのに、どーしてそう融通が利かないんだか』
書かれていることは尤もで、原作者さんも同じことを思っているでしょう。今後の原作には、きっと、キングがメリオダスに「オイラが間違ってました、ごめんなさい」と謝罪する展開が待っていると思います。
でも私は、憤るキングの心情を否定されたくないので(厳密には「すぐ許すのが当たり前」という、第二部序盤~半ばの空気に賛同し難かった)、ここで(味方のはずの)親友のヘルブラムに「後悔するにきまってる」とまで言わせちゃうのかぁ…と。
キングの立つ瀬がない感じがして悲しかったのでした。
原作では、今のところ、ヘルブラムがこの件をどう思っているかは描かれてませんし、キングに意見もしていません。
それをあえて、ヘンドリクセンを恨んでいないとヘルブラムに言わせ、「いずれ後悔するにきまってる」と揶揄させている。
小説の作者さんも、許せないキングは間違っていると思っているんだなあ。
当然だろうけど、改めて しょんぼり。
「後悔する」という言葉が、かつてメリオダスから離れたバンにキングが言った、自分とヘルブラムの最悪の結末を念頭に置いての「後悔するのは自分なんだぞ!?」という台詞を踏襲したものなら、
メリオダスがエスタロッサに殺されたので、キングは後悔しました。
という流れになるんでしょうか?(キングとメリオダスは親友ではないけれど。)
ついでに もう一つ。
テリーが、旅芸人の仲間を「人を殺すことだけが好きな、おかしなヤツ」に殺されたと語った場面。
それがヘルブラムの仕業だと知らないハーレクインが、これだから人間は ろくでもないと強く毒づくという、非常に皮肉なエピソードに仕立てています。
いや…いいんだけど…。なんか。
キングに厳しくない? これじゃ、彼が滑稽なほど愚か者に見えます。
こういうことを言った後で、狂ったヘルブラムを目の当たりにしなきゃならないなんて。
泣きっ面に蜂というか、読んでて痛かったです(苦笑)。
「許せないこと」や「記憶喪失の不安」で悩んでいるというシチュエーション的にそうなった面もあるんでしょうが、現在のキングも過去のハーレクインも、(私には)原作よりもツンツンした冷たい性格に感じられたのが残念でした。
(…いや。考えてみたら私、今回の小説のゴウセルにも、思ってたより冷たいという印象を抱いてましたね。キャラに夢見過ぎなのかしら。)
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以下、面白かったことや興味深かったこと。
■神樹は降った雨を貯め込んで放出するので、大抵、梢のどこかに小さな虹が架かっている。
これは初出情報かと。(多分)
虹をテーマにした今作のために、原作者さんが新しく作った設定なのかも。
神樹は山より大きな巨木です。
現実的に考えれば、そんな大きな木があったら、地上の広範囲が木の影に入って、太陽は照らないし雨もあまり届かない、みたいなことになりそうなのに、妖精界は神樹の根元すら常に明るくて、上の方はどうなってるんだろうと不思議に思っていました。
ほう。神樹は雨を吸収して地上に放出していたんですか。
虹ができるってことは、霧シャワーみたいに出してる? それとも小さな滝みたいに出してるのかな。(どちらでも、そこで水浴びしたら楽しそう~)
だったら、太陽光でも似たようなことをしてる可能性もあるかも。神樹の葉が太陽光を吸収して、それを放射して地上を照らしてるとか。
実際は、どうなってるんでしょうね。
そういえば、「神樹の遥か上層」には「
「
虹の架かる神樹の梢。
梢とは「枝の先」の意味でもありますが、「木のてっぺん」の意味もある。
美しい虹に誘われて神樹のてっぺんに向かったら、下手したら「
とゆーか。神樹のてっぺんって、成層圏に届くくらい高そうです。
そこに「
神樹の前に生えた巨大キノコが妖精王ハーレクインの定位置。けれど、他の妖精は誰も行けない、妖精王の真の玉座が、神樹の
そこからは月と太陽をいっぺんに見られるのかもしれない。そして地上から見ると虹が架かってるのだ。とか。
や。
実際のところ、神樹のてっぺんってどうなってるんでしょうか。
神話や民間伝承だと、世界樹・聖木の上には別世界がある(異界に繋がっている)ものですが。
●妖精族は肉や卵を食べない。食べられないわけではないが、火を使って調理する文化がないため。
小説『セブンデイズ』でも触れられていた設定が、より明瞭化しました。
ところが、ディアンヌと暮らすハーレクインは、自らキノコ色々と卵一つを集めて、火を焚いてスープを作っていました。(あれば鳥肉も入れるっぽい。かきたま汁ですね。)
なんと、ハーレクインが自分で料理してたとは。
きっと、かつて「狩人のおじさん」に一度だけ分けてもらった山鳥とキノコと木の実のスープを真似て、卵を入れるアレンジをして作るようになったんでしょう。
よく作ってたようで、彼の得意料理だったと言っていいかと。
ディアンヌもテリーも喜んでましたから、美味しいようです。
キングって料理できるのかな? と、長らく疑問に思っていました。
こんなところで答えが語られようとは!
ちなみに、テリーにスープをご馳走した際、木の椀で飲ませていました。これも、人間の道具でも参考にしてハーレクインが作ったんでしょうね。
■ディアンヌの服
今回の挿絵でディアンヌが着ていた服。
原作漫画とは違う、セパレートタイプの毛皮服でした。
おお~。
おへそが出てるよ! 可愛い。
こんな服を着ていた時期もあったんですね。
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小説作者さんのブログによれば、元は『まちぼうけの妖精王』と『少女は叶わぬ夢を見る』を元にした長編小説を検討していて、しかし、ディアンヌの過去に未だ明かされていない部分があるため没になったのだそうです。
私、バンとエレインの長編小説『セプンデイズ』が出た当時、キングとディアンヌの長編小説も続いて出るんだと、何故か思い込んでいて、しかし待てど暮らせど出なかったのでガッカリしていたのでした。
当初企画の『まちぼうけ~』と『少女は叶わぬ~』を元にした長編小説も、ディアンヌの過去の残りが明かされたら、いつか出版されるといいですね。
今度はディアンヌ視点がいいな。『セブンデイズ』もエレイン視点でしたし。