『七つの大罪』ぼちぼち感想

漫画『七つの大罪』(著:鈴木央)の感想と考察。だいたい的外れ。ネタバレ基本。

【元ネタ】バン、エレイン

※『七つの大罪』の主要キャラや事物に散見できる、アーサー王伝説などの古典や伝承が元ネタ? と思われるもののメモ。

 

バンとエレイン
 ⇒ベンウィックのバン王と、王妃エレイン

アーサー王の元に集う騎士のうち、最も知られた一人は「湖の騎士ランスロット」でしょう。強くイケメンというだけでなく、王の信認厚い筆頭騎士でありながら、王妃と長年の「禁断の愛」を貫き、結果的に王国崩壊の起因になった衰国の英雄でもあります。

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彼は妖精界(湖の貴婦人の館)育ちで、本当の両親とは物心つく前に引き離されています。

その両親こそが、バン王と、その妃エレインです。

テキストが現存するうち、ランスロットというキャラクターを文章化した最古の作家は、12世紀フランスの詩人クレティアン・ド・トロワです。

まず新婚騎士の物語『エレックとエニード』(1170年頃)で名前だけ挙げ(騎士たちが一堂に会する場面で、第一に紹介されるべき騎士がゴーヴァン(ガヴェイン)、次いでエレック、第三が湖のランスロランスロット)と語っています)、その10年ほど後の『ランスロ、または荷車の騎士』(1177~81年の間)で主役に抜擢しました。内容は大まかに以下のような感じです。

 

大祝宴の日、アルテュス(アーサー)王の妃グニエーヴル(グネヴィア)が、突如現れたあの世(行けば二度と戻れぬゴールの国)の王子メレアガンに連れ去られます。しかしアルテュス王もその騎士たちも、彼女や、同じようにあの世に囚われている人々を救う力を持ちません。誰が『死』に対抗できるでしょうか。

あの世へ向かわねばならぬ妃は呟きます。「ああ、あの方さえいてくだされば!」それはいったい誰なのか?

やっとのことでアルテュス王は腰を上げ、甥の騎士ゴーヴァン(ガウェイン)が妃救出に向かうものの、彼には屈辱に耐えてまで成し遂げようという気概はありません。

そこに現れた、どこから来たのか、動機は何か、全てが謎の正体不明の騎士。アルテュス王とは違い、グニエーヴル妃を救うことに全身全霊をかけています。ボロボロになっても諦めず、あらゆる屈辱や試練に耐え、長い旅の果て、ついに刃の橋を渡って(三途の)川を越え地獄の城に突入。メレアガンと一騎打ちに。そこで劣勢になった時、塔の上から、同じようにさらわれてきた乙女たちと共にハラハラと見守っていたグニエーヴル妃が初めて彼の名を明かし、乙女たちと共に鼓舞するのです。そう、彼の名は「湖のランスロ」!

 

(どうして王妃とランスロは知り合いだったのか? 王妃が自分のいない場でのランスロの言動すらお見通しなのは何故か? 全ては謎です。


「前世が女神だった王妃が、前世の夫だった冥王に連れさらわれ、現世の夫である人間王が奪い返しに行く」という大筋自体は『エーディンとエオホズ(エオーヒ)王』など、より古い神話に存在し、それを何番煎じかで踏襲したものと思われます。

要はこの話、本来イギリスもののアーサー王物語に、フランス人超ヒーローを投入、原作キャラのアーサーやガウェインはヘタレ化させ、当時流行っていた不倫もの要素も加味して正ヒロインまで寝取っちゃう、という今でいう原作崩壊の二次創作、<メアリー・スー>ものだったようなんですが…。

ただ、クレティアンの名誉のために書き添えておくと、この話はパトロンのリクエストで書いたもので、ほぼラストまで仕上げたものの完成を放棄しています。彼は元々不倫ものがあまり好きではなかったようですし、この不倫チートヒーローが原作世界を崩壊させることが解っていたのかもしれません。死後に別作家が書き足してオチを付けました。)

 

この物語では、どうして「湖の」と二つ名が付くのか、どんな生い立ちで両親は誰なのかなど、細かなキャラ設定は語られていません。

しかし少なくとも10年ほど後には、その辺りを扱った物語が出回っていたことが、スイス人のウルリッヒ・フォン・ツァトチークホーフェンによるドイツ語の『ランツェレット Lanzelet』(1210年前後)や、以降のランスロットものの基本となった作者不詳のフランス作品『散文ランスロ(ランスロ本伝)』(1220~30年頃)から知ることができます。

 

 

さて、話を最初に戻しましょう。

複数の作家の語った物語を併せて語るに、ランスロットの父はベンウィックのバン王、母はその妻であるエレイン王妃です。(ベンウィック Benwick/Benoic は、フランスのブルターニュ地方にあった国家だと考えられています。)

 

アーサー王が即位したとき、アイルランド王・リエンス Rience/Ryons がこれを認めず、賛同する11人の王と共に戦意を示しました。アーサー王は魔術師マーリンの助言に従い、ベンウィックのバン王と、その弟であるガネス Gannes(やはりフランスの地方国家)のボールス王に使者を送って援助を求めました。彼らが大陸最高と称される戦士だったからです。

 

一説に、彼ら兄弟はアイルランド王の娘マルシェと、その夫たるランスロット王の息子とされます。

彼らはブルターニュを支配していた王・アラモント Aramont の家臣筋でした。

アラモント王はゴール Gaul のクラウダス Claudas 王と「荒地」と呼ばれる領土を巡って争っていました。彼はブリテン(イギリス)の王・ウーサー Uther(アーサー王の父親)の傘下に入り、連合してクラウダス王に対抗しましたが、敗北して領土を渡さねばなりませんでした。

アラモント王とウーサー王の死後、バンとボールスの兄弟王はクラウダス王への報復を開始し、領土を取り戻そうと戦い続けていたのです。

 

そんな事情から、クラウダス戦への協力と引き換えに、アーサー王は彼らに同盟を申し込んだわけでした。

兄弟王はイギリスに渡ってアーサー王を助けて戦いました。

 

なお、この兄弟王にはもう一人、グウェネバル Guinebal / グェンボウ Gwenbaus などと呼ばれる兄がおり、アーサー王との盟約の場に同席し、反乱軍との戦いにも同行しています。 彼は文官系の人物で、賢く、交霊能力があり、魔力を持っていました。魔術師マーリンが彼の知識と魔術の豊富さに感銘を受けて友になったほどです。

彼はイギリス遠征中、魔の森に住む女性と恋に落ちました。普段は無愛想な彼女がこれには楽しそうに笑うので、「立ち入った者が永遠に踊り続ける」魔法の罠を森にかけました。彼が作った自動チェス盤との試合に誰かが勝てば解放されるルールでしたが、誰も勝てず、負ければ踊りの仲間入り。そんな次第で、この森に入った者は誰も戻らないので「帰らずの森」と呼ばれるように。

彼はこの森で彼女(「帰らずの森の賢女」と呼ばれた)に魔法を伝授などしながら生涯を終えたと思われます。
彼が森に残って兄弟たちと別れると決めたとき、バン王は自身の冠を記念に渡しました。

なお、森にかけられた魔法は、後に甥(バン王の息子)のランスロットが解きました。彼は自動チェス盤に勝って、踊りに囚われていた人々を解放し、チェス盤は王妃グネヴィアにプレゼントしました。

 

反乱軍との激戦のさなか、バン王は<百人の騎士の王>を倒したものの馬を失い、人馬の骸の間を徒歩でうろついて戦っていました。深手を負った彼は狂い猛る獅子のようで誰も間合いに入れません。それに気付いたアーサー王は、見事な馬に乗った敵に駆け寄るや兜の上から斬り倒し、馬の手綱を取ってバン王のもとへ引いて行きました。バン王は感謝して馬上の人となりましたが、盾も剣も返り血と脳漿で塗り潰されていたため、その親切な騎士がアーサー王だとは気付きませんでした。

 

同盟軍はリエンス王を倒し、続いてのサクソン人討伐にも兄弟王は同行しました。

それが済むと、兄弟王と共にアーサー王はフランスに渡り、クラウダス王を退けました。また、ボールス王はローマ軍との戦いでもアーサー王に協力しています。

 

しかし次にクラウダス王が侵攻してきたとき、バン王は敗れて追い詰められ、最後に残ったトレベス城にたてこもる状況となりました。

バン王はアーサー王の援助を頼むことにし、主だった家臣に城を任せて、エレイン妃とまだ赤ん坊の息子ランスロットだけを連れて、夜陰に紛れて脱出しました。

ところが。さほど行かぬうちに返り見れば城が落ちているではありませんか。執事長が、バン王の領土を与えてもらう約束でクラウダス軍に城門を開いたのです。

悲憤のあまり彼の心臓は張り裂け、その場に倒れて息が絶えました。哀れなエレイン妃は、息子を草の上に置いて夫に駆け寄りました。

そうこうするうち、気付くと、息子は「湖の貴婦人(あの世の妖精~女神)」の腕に抱かれていたのです。返してという願いは叶わず、それは近くの「ディアーナの湖」に飛び込んで失せたのでした。

 

<大いなる悲しみの女王>となったエレイン妃は、近くの修道院に身を寄せて修道女になりました。やがて姉妹のエヴェインもやって来ました。彼女の夫、バン王の弟であるボールス王も兄の死を聞くと悲しみのあまり亡くなり、クラウダス王を恐れた彼女は、二人の息子、ボールス(父と同じ名前)とライオネルと共に逃げましたが、息子たちは捕らえられ、彼女だけがここに辿り着いたのです。彼女も宣誓して修道女になりました。

 

その数年後のことです。修道院を黒衣の修道士が訪れ、エレインとエヴェインに告げました。あなたたちの息子たちはまだ生きていると。

彼の名はアドラゲイン Adragain。かつて円卓の騎士の一人でしたが今は世捨て人です。彼はイギリスに渡って、何故バン王とボールス王を助けなかったかとアーサー王を叱責しました。王は自国のトラブルで動けなかったと告解し、彼らの死の報復を約束したのでした。

 

エレインは定期的に息子の消えた湖を訪れていました。

一方、エヴェインの体調は悪くなるばかりでした。息子たちを案じるあまり病気になったのです。

命が尽きかけた夜、エヴェインは夢を見ました。湖の貴婦人の庭で、息子たちと甥のランスロットが立派に育ち、共に遊んでいる。そんな楽しく美しい幻影を。次に目覚めたとき、彼女は自分の右手に息子たちと甥の名前が書かれてあるのを見つけました。あれはきっと正夢なのだ。そう確信した彼女は、幸せな気持ちで永遠に目を閉じたのでした。

 

湖の貴婦人はボールスとライオネルをもクラウダス王の城から救い出し、ランスロットと共に一流の教育を施して育てていました。

彼らが一人前の騎士となってアーサー王の円卓に加わったとき、王は軍を派遣して、クラウダス王との戦いを開始しました。バン王とボールス王の仇を討つために。

エレインは、甥である騎士ボールスと騎士ライオネルから、息子ランスロットの消息を聞かされました。戦に勝って彼らが父親の領地を取り戻すと(かつて城門を開いた執事長はランスロットとの決闘で殺されました)、領地に息子を訪ね、ついに再会を果たしたのです。

こうして彼女は息子の側で、死ぬまでの一週間を安らかに過ごしたのでした。

 

 

以上が基本ですが、異説は色々とあります。

例えば、中世フランスの『コンスタン王の息子たちの物語 Roman des fils du roi Constant』では、ランスロットの父はリバン Liban 王、母は王妃サーベ Sabe で、リバン Libanor という女きょうだいがいたことになっています。

 

また、前述のウルリッヒ『ランツェレット』では、ランツェレット(ランスロット)の父はゲネウィース Genewis(現在のフランス・ブルターニュのヴァンヌ Vannes 辺りとされる)の王・パント Pant となっています。

パント王は暴君でした。独善的に平等を唱え、仕えてくれる貴族を尊重せず平民と同じに扱ったので、貴族たちに憎まれ、反乱軍は王城に至ってパント王を傷つけました。彼と王妃クラリーン Clarine は1歳余りの息子を連れて脱出しましたが、川辺まで来て傷のために倒れ、死んでしまいました。クラリーンは息子を木の下に置いて夫を介抱しようとしました。そして彼女が戻る前に、濃い霧に紛れた湖の妖精が息子を連れ去ったのです。

 

 

ところで、私の良心に従って「パント王」と表記しましたが、発音的にはかなり「パンツ」です。

というわけで、「König Pant」や「King Pant」という言葉が目に入るたびに、脳内にあらぬイメージが渦巻いて困りました。どうしてくれよう暴君パンツ王め。

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話がずれたついでに。

この話、以降の展開が一般的なランスロット物語とはかなり違っていて面白いです。ちょっと寄り道して紹介。

湖の妖精にさらわれた男の子は、その妖精が治める「女だけが住む常春の島」で育てられます。15歳になると騎士の装備を与えられ外界に放り出されましたが、養母の妖精に、私の息子・魔術師マーブース Mâbûz を苦しめている仇敵、最強の騎士イヴェレット Iweret を倒すまでは、あなたの本当の素性も名前も教えられませんと告げられます。

少年は最初、馬の乗り方もマナーも知らず、恥をかかされ、領主ヨーフリトのもとで騎士修行をして男を磨きました。

そこを旅立って、騎士として幾つかの恋と冒険を越えた後、ついにマーブースの座す「死の城」に辿り着きます。妖精の女王の息子は冥王というわけです。マーブースは少年を捕らえますが、イヴェレットを倒すことを条件に解放します。

少年はイヴェレットを倒し、その娘のイブリスと結婚しました。湖の妖精の使者が訪れ、彼がパント王の息子ランツェレットであると明かされたのでした。

 

素性が明らかになったランツェレットは、母クラリーンの兄弟・アルトゥース(アーサー)王の宮廷へ出発しました。

既に以前、彼の名声を聞きつけたアルトゥース王が派遣した騎士ウァールウェイン(ガウェイン)と出会い、誘われていたのですが、その時は断っていたのです。

その頃、アルトゥース王の宮廷に現れたファレリーン Valerîn 王(冥王)が、アルトゥース王の妃ゲノフェル(グネヴィア)が結婚前に自分と婚約していたことを理由に、彼女を奪うと宣言していました。止めることのできる騎士がいなければ連れ去ると。

挑戦したランツェレットが勝ち、王妃の周囲に近づかないと誓約させました。

次に、宮廷に妻イブリスを残してプルーリース Plurîs 城に向かいました。力試しがしたかったのです。ここで百人の騎士に勝ったものの、女王の魅力に抗しきれず囚われの身に。

それを知ったアルトゥース王は騎士ウァールウェイン、エーレク(エレック)、トリスタンらを派遣してランツェレットを救い出しましたが、その隙をついて、ファレリーン王が誓約を破り、王妃ゲノフェルを連れ去ったと聞かされます。厳重注意を意に介さずストーカーは罪を犯してしまいました。

アルトゥース王は騎士たちを率いて、深い森に囲まれ魔法に守られたファレリーン王の城に向かいました。ランツェレットも参加です。

トリスタン曰く、難攻不落の城を落とすには霧の湖の主・魔術師マルドゥク Malduc の助力が必要。引き換えに、かつてマルドゥクの父と弟を殺したウァールウェインとエーレクが、自らマルドゥクの城の牢に繋がれました。

マルドゥクは呪文でファレリーンの城を守る蛇を散らし、ファレリーンと部下を殺し、魔法の眠りに就かされていた王妃を目覚めさせました。(死からの復活)

こうなれば、もうマルドゥクなんて用済みです。

ランツェレットと、アルトゥース王の百人の騎士はマルドゥクを倒し、餓死しかけていたウァールウェインとエーレクを牢から救い出しました。

そうして凱旋し、王と騎士たちは大祝宴を開いたのでした。

 

その後、ランツェレットは父の領地ゲネウィースに戻り、父がしていたよりも家臣を大事にすると約束して、もめずに領地を取り戻しました。また、妻イブリスの所有していた領地をも受け継ぎました。

母とも再会し、イブリスとの間に三男一女をもうけました。

そして物語はおとぎ話のように締めくくられています。「それから二人は、死ぬまで幸せに暮らしましたとさ」と。

 

 

この話では、ランスロット(ランツェレット)はアーサー王の妃と不倫をしません。王妃が前世の夫たる冥王にさらわれるエピソードはあっても、救いに行くのはアーサー王で、ランスロットは手助けをするだけです。

ただしランツェレット、不倫はしませんが、やたらと結婚回数が多い。イブリスと出会う前に、それぞれ別の女性と二回、全部で三回結婚しています。冒険して敵を倒すたび、その冒険におけるヒロインと結婚している感じ。(そしてイブリス以外の妻はそれ以降出てこない。ミステリー。)この時代、重婚罪はないのでしょうか。

イブリスとの結婚後も、結婚はしませんでしたが、竜に変えられたトゥーレ Thile の王女エリディアー Elidiâ をキスで元の姿に戻しています。ハーレム系少年漫画の主人公みたいですね。

 

もう一つ、この話で面白いのが、湖の妖精の息子・魔術師マーブースの存在です。

【元ネタ】ディアンヌ、マトローナ」で書いたように、モルガン・ル・フェイの前身たる女神マドロン(マトローナ)には「マボン」という息子がいたとされています。マーブースはそれと同一キャラと思われるのです。つまり、ランツェレットを育てた湖の妖精はモルガン・ル・フェイだと見なしても突飛ではありません。

 

一般的なランスロット物語では、彼を育てた湖の妖精はニミュエ(ビビアン)とされます。彼女は魔術師マーリンをこの世から消した存在でもあり、初めて彼らの前に現れた際は「白い猟犬を連れて白馬に乗り、白い牡鹿を追う美しい女狩人」の姿。即ち、月と狩りの女神ディアーナディアンヌのモデル)と重ねられていました。

ディアーナとビビアン(ニミュエ)の重ね合わせは根強いものです。

13世紀フランスの『流布本サイクル』では、ビビアンは「ヴィヴィエンヌ」という魔術の心得のある人間の娘です。彼女の父ディオナスは女神ディアーナの名付け子、即ち信徒であり、彼の母(つまり、ビビアンの祖母)の名は「ディアンヌ」でした。

 

これらから、赤ん坊のランスロットが湖の貴婦人と共に「ディアーナの湖」に消えたと語るのも、ディアーナ≒妖精の女王≒湖の貴婦人(モルガン・ル・フェイとその眷族)を暗示した表現だと思われます。

 

 

寄り道が長くなりました。話をバン王に戻しましょう。

 

七つの大罪』のバンはエレイン一筋ですが、ベンウィックのバン王は、妻以外の女性に私生児を産ませています。

彼の名はエクター(ヘクター/ヘクトル)。同名人物が他にいるので、エクター・ド・マリス Hector de Maris(マリスのエクター)と呼ばれるのが通例です。円卓の騎士の一員となり、腹違いの兄ランスロットを敬愛して、最期まで彼の味方でありつづけた弟の鑑のようなキャラクターです。

母親のレディ・ド・マリス Lady de Maris(マリスの貴婦人)は、マリス城もしくは沼沢地のフェンス城の主であったアグラヴァディン Agravadain の娘です。彼はアーサー王の騎士の一人でもありました。(ランスロットの不倫現場を告発した騎士アグラヴェイン Agravain とは別人。)

 

アーサー王の同盟軍としてバン王が兄弟らとイギリスを訪れたとき、アグラヴァディンの城に滞在し、美しい少女であったレディ・ド・マリスと愛を交わしました。

一説に、この繋がりは魔術師マーリンの策謀によって生じたと言われています。アーサー王の母を魔術で騙して夫以外の男性と寝させアーサーを産ませたように、ここでも、優れた英雄を産ませるため二人を配合したのだと。

マーリンの思惑は成功し、レディ・ド・マリスの胎にはエクターが宿りました。

 

バン王とボールス王、マーリンは五日滞在して立ち去りました。

その後、多くの男性がレディ・ド・マリスに求婚してきました。しかし彼女は頑なに断り続けました。

父のアグラヴァディンは、娘の気持ちが変わることを期待して、若い求婚者の一人レリアドール Leriador に、二年後にまた試してほしいと頼みました。

ところが娘は告白したのです。私のお腹にはバン王との子供がいますと。

後、怒ったレリアドールが軍で城を包囲する事態に発展し、アグラヴァディンはこれを撃退せねばなりませんでした。

娘は未婚で男児を出産。その子供エクターはバン王に似ていました。

アグラヴェインの死後、城は彼の息子が継ぎました。レディ・ド・マリスはその後も誰とも結婚せず生涯を過ごしたそうです。

彼女は、バン王から与えられたサファイアの指輪を常にはめていました。彼を忘れないために。

実は、その指輪とよく似たものを、バン王は妻のエレインにも与えていました。

かなり無神経ですが、おかげでレディ・ド・マリスは、息子が彼の腹違いの弟であることを、後年、ランスロットに証明することができたのでした。 

 

 

最後に。

クレティアン・ド・トロワの『エレックとエニード』や『聖杯の騎士ペルスヴァル』には「ゴメレット Gomeret  のバン王」なる人物が出てきます。

「ベンウィックのバン王」と同一人物とする解釈が一般的ですが、『エレックとエニード』ではエレックの結婚を祝いに駆けつけた諸侯の一人として彼が登場し、一方で、エレックとほぼ同格の騎士として「湖のランスロ」の名が挙げられているので、よく知られる「ランスロットが赤ん坊の時にバン王は亡くなった」という設定は当てはめられません。

ちなみにゴメレットのバン王が結婚の祝いの席に伴ってきた200人の部下は、まだ髭が生えていないほど若く、みな陽気な男だったそうです。

 

聖棍クレシューズ
 ⇒名剣クレシューズ

バンの神器、聖棍クレシューズは四節棍ですが、名前のモデルであろうものは剣でした。

 

ベンウィックのバン王が愛用した名剣の名が「クレシューズ Courechouse / Coureseuse」です。

切れ味の鋭さで知られる剣で、いつも彼は敵が目に入るやいなや、どんなに強い盾、チェーンメイル、兜でも 一撃で斬り裂き、騎士を馬ごと斬り倒してしまうのでした。

アーサー王らと共に巨人のリヨン Rion 王と戦った際も、この剣を振り回しています。

 

バンの神器は打撃武器のはずです。しかし「死神の一薙アサルトハント」など、無数の敵の首を一度にはねてしまう「切れ味鋭い」様子は、斬撃武器であるかのようにも見えますね。

 

 

不死身のバン
 ⇒祝福されたブラン

バンのモデル「ベンウィックのバン王」には、より古い英雄神にルーツがあるとの説があります。

それはウェールズ伝承集『マビノギオン』などに登場する英雄王「祝福されたブラン Bendigeidfran」です。

「ベンウィックのバン Ban of Benwick」を意味するフランス語「Ban de Bénoïcバン デ ベノウィキ」は、祝福されたブランを意味する「Bran le Benoitブラン ル ブノア」の転訛であり、ウェールズ語Bendigeidfranベンディゲイドブラン」が元にあるというのでした。

 

この英雄王は「不死」に関わる属性を持っています。死した戦士たちを蘇らせたり、死んで首だけになっても腐敗せず語り続けたなどと言われるのです。より古い原型は冥界神だったのかもしれません。

バンが「不死者」であることと、ちょっと重なりますよね。

 

 

マビノギオン』によれば、偉大なるスィールの息子・祝福されたブランがウェールズの王だった頃、突如として、13艘の艦隊を率いたアイルランド王マソルッフ Matholwch が訪れました。彼が言うに、ブラン王の最愛の妹、麗しいブランウェンを妃に迎えたいと。ブラン王はこの縁談を受けて同盟を結ぶことを議会で決定しました。

ところがです。ブラン王の異母兄弟エヴニシエン Efnisien が外出から帰ってきて、自分抜きで話が進められたことに激怒しました。カッとなると収まらない激情家なのです。

どうしてアイルランド野郎なんかを歓待する。まして可愛い妹を嫁にやるとは何事か。

流石にアイルランド兵すべてと戦うことは無理だったので、アイルランド人たちの馬の脚を傷つけ、口を裂き、耳を削ぎ、目を抉って、尾も切り落としました。苦しみもがく哀れな馬たちはもはや手の施しようがなく、乗れない馬に価値はないので、みんな殺してしまうよりありませんでした。

アイルランドの廷臣たちは激怒し、同盟は反故にして帰国しようと王に薦めました。しかしブラン王は引き留め、より優れた馬や銀の延べ棒、金の皿で充分に補償し、更に最高の宝である「魔法の大釜」をも渡したのでした。

 

この大釜は、元々「アイルランドの湖の中から出てきた」奇怪な夫婦が持っていたものでした。夫は大釜を背負っており、彼に続いて湖から現れた妻は、彼の二倍大きく、四倍恐ろしく、八倍醜悪でした。

その場に居合わせたアイルランド王マソルッフは、間もなく授かるだろう我らの子は優れた武人になるだろうと男が語るのを聞いて、夫婦を城に住まわせました。しかし一年も過ぎると、夫婦は耐え難く不快な存在になりました。朝から晩まで偉そうに文句をつけるうえ臭いのです。しかも妻は信じられないほど巨大になっていました。あの世の存在は死体に擬される。腐敗した死体はガスで膨らむものですからね。

民や廷臣たちからの苦情が激しく、しかし彼らが出ていくことを拒んだので、ついにマソルッフ王は恐ろしい方法での始末を決めました。彼らを宴でもてなし続け、その隙に鍛冶職人らに壁で囲わせ閉じ込めて、石炭を燃やし、焼き殺すことにしたのです。

溶鉱炉のようなその牢獄の壁が白熱するに至って、泥酔していた夫婦は事態に気付きました。男が壁を体当たりで破壊し、妻と共に空を飛んで逃げていきました。まるで火葬場の煙突から昇る煙のように。

逃げた夫婦はウェールズに至り、ブラン王は優しく迎え入れました。夫婦は感謝し、優れた武装の兵団を育てることで恩に報い、更に、背負っていた魔法の大釜を授けてくれたのです。

この大釜に死んだ戦士を投げ入れると、鍋に入れた具材が料理に変化するように・炉に入れた鉄が鉄器に精製されるように・母の子宮に入った魂が新たな命に産み直されるように、死から生へと変成して生き返ることができるのです。

ただし何もかも元のままではなく、喋ることができません。黙々と戦い続けるばかりです。というのも、大釜の秘密は秘しておかねばならないことだからです。

 

ちなみに、伝説の詩人タリエシンの詩では少し違う風に語られていて、マソルッフ王ではなく、アイルランドで狩りをしていたブラン王自身が、水盤のベイシン湖のほとりで、大釜を持った小人と黒くて醜くて体の大きな魔法使いが出てきたのを見つけた、と語っています。ウェールズに誘って城に泊めると、もてなしの礼として大釜をくれました。それには万病を癒し、出血を止め、死人を生き返らせる力がありましたが、生き返った者は秘密を漏らさぬため口がきけなくなるのでした、と。

 

マソルッフ王はブラン王の措置に感謝し、二人は夜通し歓談して、ブランウェンは幸せな花嫁としてアイルランドへ輿入れしていきました。

アイルランドの人々は一目で彼女を気に入って、王宮の庭には贈り物がうず高く積まれました。間もなく彼女は世継ぎの王子であるグウェルン Gwern を産み、幸せは限りないように思われました。

ところがです。

輿入れから三年も過ぎると、王の側近たちはかつて馬を傷つけられた恨みを蒸し返し始めました。どうしてウェールズ人どもに復讐しないのですか、男らしくない。あなたはそれでも王ですかと毎日言われて、マソルッフ王は神経がまいってしまい、しかも彼らはブランウェンが王の寵愛を失うよう仕向けたので、とうとう王は彼女から妃・世継ぎの母の地位を取りあげ、台所の下働きに追いやったのです。

 

下女に落とされたブランウェンは、威張った料理長に怒鳴られ、料理見習いの少年たちにさえ顔をぶたれる屈辱に耐えねばなりませんでした。

そんな日々は三年も続きました。

というのもマソルッフ王が、アイルランドからウェールズへ向かう船を妨害させて、事態がウェールズの王家の耳に入らないよう細工していたからです。

 

下女のブランウェンは、一羽のムクドリを餌付けて慰めにしていました。鉢の縁に止まらせて根気強くお使いを仕込み、とうとうある日、翼の下に手紙を結びつけてウェールズへ向けて放ちました。

ムクドリは矢のように飛んで飛んで、海を越え、ブラン王の肩に舞い降りるや力尽きて命絶えました。廷臣が手紙に気付き、読んだブラン王は悲憤に震えて、復讐を決意したのでした。

 

ブラン王は、息子のカラダウグをリーダーとする選ばれた7人<七騎の座>に留守を任せ、艦隊を率いて海を渡りました。

その日、アイルランド側の海岸にいたマソルッフ王の豚飼いたちは、陸地がそのまま近付いてくるという異常に目を剥きました。森、山、切り立った崖、崖の両側には一対の青い湖が見えます。

豚飼いたちの報告はマソルッフ王には意味不明だったので、台所のブランウェンに訊いてこいと命じました。というのも、その陸地は彼女の故郷の方から来ていましたから。

ブランウェンは答えました。私の兄ブランが艦隊を率いて私を救いに来たのですと。森は艦隊のマストの連なり、山は海を渡る兄自身、切り立った崖は兄の鼻筋、一対の湖は兄の両眼だと。彼はそれほどの巨人でした。

アイルランド人たちは慌てて会議を開き、ブラン王が攻め込めないようシャノン川の橋を落としました。ところが、ブラン王は自らの巨体を川に横たえて橋となり、兵団を渡らせてしまいました。

 

これを見たアイルランド人たちは、ブランウェンへの仕打ちを謝罪し、彼女の息子グウェルンを今晩あなた方の目の前でアイルランド王に即位させますから、どうか剣を収めてくださいと申し出ました。

ブラン王は戦いを避けようとするマソルッフ王の意を受け入れ、マソルッフ王は巨体のブラン王が休めるよう巨大で豪華な館を建てさせました。

 

しかし、マソルッフ王の廷臣たちは牙を研いでいました。その館の柱の全てに釘を打って大袋をぶら下げました。中には戦士が潜んでおり、騙し打ちでウェールズ人を皆殺しにする手はずでした。

ブラン王の異母兄弟のエヴニシエンはピンときて、「この中には何が入っているのだ」と尋ねました。

「料理を作るための小麦粉でございます」「そうか」

エヴニシエンは力を込めて袋を掴み、中の戦士の頭蓋骨を握り砕きました。同じようにして袋の中の戦士200人を全て殺してしまいました。

 

やがて即位式が始まりましたが、エヴニシエンはピリピリしたままでした。甥のグウェルンが自分にだけ挨拶していないと文句をつけ、その小さな王子の踵を掴むと頭から火の中に投げ入れたのです。

ブランウェンは気が違ったようになって息子を火の中から引き出そうとしましたが、もはや手遅れ。ブラン王は「お前まで死んでしまう」と慌てて取り押さえ、なし崩しに始まった戦いの中、せめて妹を盾で守りつつ安全な場所まで連れて行くよりありませんでした。

 

平和を望んだ王たちの思いは台無しになり、凄惨な殺し合いが続きました。当初はウェールズ側が優勢でしたが、やがて押され始めます。というのも、アイルランド側が例の魔法の大釜を使って死者を蘇らせ始めたからです。

エヴニシエンが殺した、袋の中の戦士200人も起き上がり、黙々と戦っていました。これではキリがありません。

 

流石のエヴニシエンも、怒り任せの自分の行動がこの苦境を招いたのだと悟って、こうなれば華々しく散って責任をとろうと考えました。彼はアイルランド人の死体の中に横たわり、わざと魔法の大釜の中に投げ込まれたのです。そこで手足を伸ばして釜の四方をぶち破ると、彼の心臓も破けて死にました。

 

ここもタリエシンの詩では少し違っていて、ブラン王自身が敵の首を切り落として大釜に投げ入れると、釜が割れて効力がなくなった、としています。

 

戦いはウェールズの勝利となりましたが、双方ともに殆どが死に絶えて、アイルランド側に生き残ったのは妊婦5人だけ(洞窟に隠れ潜んでいました)、ウェールズ側で生き残ったのは7人の男とブラン王だけでした。

とは言え、ブラン王ももはや死ぬばかり。毒槍で足に癒えぬ傷を負わされていたのです。彼は死の床から7人の男たちに指示を与えました。

 「私の頭を切り落として持ち帰り、顔をフランス側へ向けてスィンダイン Llundein(ロンドン)のグウィンヴリン Gwynfryn(「白い丘」の意。ホワイト・ヒルに埋めよ。

ただし時間が必要だ。まずはハーレフウェールズ北西部)で7年過ごせ。フリアンノン Riannon の小鳥たちが調べを奏でるだろう。次の80年をペンブロ Penfro のグワレス Gwalesウェールズ南西部、ペンブルックシャーの小さな無人島 Grassholm のこと)で過ごせ。

その間、私の頭は腐ることなくお前達と共にあるだろう。

グワレスにいる間は、ケルニュウ Cernyw コーンウォールのこと。南)の方角の扉を開けてはならない。もし開けてしまったなら、すぐに私の頭をスィンダンに運んで埋めるのだ」

 

7人の男たちは儀式にのっとってブラン王の頭を切り落とし、ウェールズに帰りました。

そこで彼らは、留守の間に国は荒れ、ブラン王が留守を任せた<七騎の座>は、姿の見えなくなる魔法のマントを着た某王に6人まで殺され、生き残ったカラダウグも殺された6人を見て心臓が裂けて死んだことを知りました。

ブランウェンは故郷に戻れたものの、これまでの悲しみが胸を圧して、やはり心臓が破れて息絶えてしまいました。

 

7人の男は彼女の埋葬を終えるとハーレフへ向かいました。そこには十分な食料と水があり、芝生に寝転んで宴をすれば、三羽の「フリアンノンの小鳥」が現れて世にも美しい声で歌うのでした。それを聞けば、浮世の憂さを忘れていることができました。

(フリアンノンの小鳥のさえずりではなく、ブラン王の首が喋って男たちを楽しませたと語られることもある。小鳥の声と死者の声は同義。)

 

7年が過ぎるとグワレスへ移動しました。そこには館があり、二つの扉は人を招くように大きく開かれてありましたが、三つ目のコーンウォールケルニュウ側の扉は固く閉ざされていました。

彼らは80年をそこで穏やかに暮らし、ブラン王の頭も腐ることなく、まるで生きているかのようにあり続けました。

けれども、ついに男の一人が好奇心に負けて開かずの扉を開けてしまいました。途端に、今まで忘れていた苦しみがどっと押し寄せ、ブラン王の首は腐り始め、夢から覚めた心地となって、もうここにはいられないと悟りました。浦島太郎が玉手箱を開けてしまったように。

彼らは慌ただしくその地を去り、ロンドンスィンダン白い丘グウィンヴリンにブラン王の頭を埋めました。侵略の脅威に睨みを利かせて国を守ってくれるように、顔をフランスの方へと向けて。

 

彼の首が睨みを利かせている限り、どんな災難もブリテンにはやって来ませんでした。しかし、一説にこう言います。後の時代、自分こそがブリテン唯一の守護者になりたかったアーサー王が、塚を破壊してブランの首を掘り出してしまったと。そのため首の加護は消え失せてしまったのだそうです。

なお、アーサー王はブラン王の遠い子孫だという説もあります。(アーサー王伝説系図は作者によってバラバラなので、全く当てにはなりませんが。)

  

キリストが処刑された「ゴルゴタ Golgotha の丘」は「頭蓋骨の丘」という意味で、ダビデ王がエルサレムへ遷都した際にアダムの首をここに移し埋めて守りとしたという伝説があります。日本の平将門の首も、腐らずに夜毎に喋り続けたと言われたり、埋められ祀られて守護神になったりしていますが、首には霊力があり、それを埋めた塚には特別な護りの力があるのですね。

「首」と霊魂(霊的意思)は同一視されます。だから伝承中の「首」は、しばしば喋るし空を飛びます。ブラン王の首が喋り続けたというのは、7人の男に神霊の声が聞こえた、即ち「神託」を授けられていたということでしょう。

(喋る首のモチーフは兜に宿ったヘルブラムを連想しうるものでもありますが、それは該当項で述べたいと思います。)

 

「ブラン Brân」とはウェールズ語アイルランド語でカラスやワタリガラスを意味します。鳥も、世界的に霊魂の象徴とされるものです。

余談ですが、コーンウォールの伝説ではアーサー王の魂は死後にカラスの中に入って同化したとされます。関係あるのかは不明ですが、ロンドン塔からカラスがいなくなればイギリスが滅亡するという言い伝えもあるそうです。

 

 

さて。

大釜は女神の子宮を意味します。

死者の魂は女神の胎に還り、新たな命となって産まれてくる。新たな命に変成するためには、一度大釜の中でぐつぐつ煮られなければなりません。

 

そして女神の子宮とは「あの世」のことです。そこは死者が行く死の世界であり、同時に、新たな命が生まれいずる源泉です。そこは大釜のように煮えています。

私たち日本人も、死んだら地獄の釜で煮られるとか、お盆には地獄の釜の蓋が開いて死者が里帰りしてくると言いますが、根は繋がっています。外国の伝承で言う、地獄には炎が燃え盛っている、煮立ったアスファルトが行く手を阻んでいるなどというのも同系のイメージでしょう。

 

女神や魔女が大釜を持っていて、そこに刻んだ人間や幼い子供が入れられぐつぐつ煮込まれて、時に食べられて腹に入ると、もっといい存在に生まれ変わる。

あるいはその合理的(?)変形として、大鍋で煎じた薬に浸して死者を蘇らせる。

こうしたモチーフは、世界中の神話・説話・民話に数限りなく見出せます。有名な所ではギリシア神話の魔女メディア。グリム童話にもある『継子と鳥(杜松の木)』もそうですね。

 

かつてシベリアのシャーマンは、己がバラバラに切り刻まれ、霊魂となって異界へ飛び、再び戻ってくるという幻視体験を通過儀礼としていたそうですが、秘儀であって、一般人には秘しておくべきものでした。

死んで蘇った者は聖人なのです。世界の秘密は漏らしてはなりません。

この考えから、ブランの大釜で蘇った者は口がきけないのだと思われます。少なくともタリエシンはそう説明しています。

(現代の娯楽作品にまみれた私達は、ついつい、ゾンビになったから知能がなくなって喋れないんでしょ! みたいなことを想像してしまいがちですが、そういうことではないのですよね、きっと。)

  

ブランの魔法の大釜は、湖から出てきた小人と女巨人の夫婦の持ち物でした。彼らは、妖精王(冥王)とその妃(冥界女王)と見なすことができます。釜は子宮なのですから、本当の持ち主は妻の方でしょう。

アイルランド伝承上の妖精王ミディール Midhir(誇りのミディール)も魔法の大釜を持ち、無尽の食料を提供できたと言われています。命を生み出す大釜は、食糧(恵み)を生み出す「偉大な母(世界)」そのものでもあるわけです。

無尽の食料をもたらす大釜の所持者というと、アイルランド神話の善神ダグザが有名ですが、ミディールは彼の息子とされ、結びつけられています。

ダグザはブラン王と同じく巨人です。巨人神の息子が妖精王なんてチグハグな感じもしますが、この親子は「死(破壊)をもたらし、生(豊穣、再生)を授ける」冥王神としての面はよく似ています。

 

 

ブランと妖精王には、不死性や大釜という点で繋がりがある。

カバノキ科の落葉樹「アルダー Alder(ハンノキ)」はブランの聖木とされますが、一方では妖精の木ともされています。この木は妖精界への道を守っている、幹の中に妖精界への出入り口を隠している、夏至前夜祭ミッドサマー・イブ(6月24日)の深夜にこの木の陰に立つと妖精王が廷臣を率いて通るのが見えるなどと言われ、木を切れば祟りで家が火事になるとも。

 

ケルト文化圏では湖沼は異界への入口とみなされ、異界の神のもとへ送り出すために湿地に生贄を投げ込むことも行われていました。アルダーハンノキは湿地や水辺を好んで生える木で、しかも樹液が酸化して赤く変色するため切ると血を流しているように見える。そんな点から、異界に繋がる不気味な木と考えられたのでしょう。

また、材木としては堅くて腐りにくく、水中の杭や橋に使っても、いつまでも石のように頑健にあり続けたので、そこに「不死性」を見出され、不死者であるブランや妖精たちの聖木に相応しいと考えられたようです。

 

ところで皆さんは、シューベルトの『魔王』を覚えているでしょうか。音楽の授業で一度は聴いたことがあるはずですが。

これはゲーテの詩『Erlkönigエァルケーニッヒ』に曲を付けたもので、ゲーテはその詩を、知人であるドイツの文学者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーがデンマーク民謡をドイツ語に訳した詩『Erlkönigs Tochterエァルケーニヒス テヒター』に想を得て書いたとされています。

その詩は、明朝の結婚式のため夜陰に馬を駆って急ぎ帰宅しようとしているオラフ卿を、緑の国(緑はキリスト教以前の神魔・妖精を象徴する色)の妖精にして<アルダーハンノキの王の娘>が、素晴らしい音楽で魅了し、踊りましょう山積みの黄金をあげますよと何度も誘惑する。しかし彼が拒絶すると、彼女は彼を打って痛みもなく心臓を止め、青ざめた亡霊の状態に追いやる。帰宅した息子(亡霊)があまりに青ざめて影が薄いので母は震えて理由を尋ねる。彼は「<アルダーハンノキの王>の王国」の者に遭ったと答えて去る。翌早朝、花嫁は森へ行き、彼の真紅のマントの下に横たわる遺体を見つける、という内容です。

 

「Erlkönigs Tochter」は「アルダーハンノキの王の娘」の意味に取れます。

でも「アルダーハンノキの王」って何ぞや?

昔から誰もがそう思ったようで、ヘルダーの造語ではないか、いやいや「妖精王 Elfenkönigエルフェンケーニッヒ」の誤訳だろう、と議論されてきました。デンマーク語の「妖精王 Ellarkonge」を訳した際、妖精を意味する「Ellar」の部分が、ドイツ語でアルダーハンノキを意味する「Erle」に発音が似ていたため、間違えたのだろうというのが定説です。

しかし、妖精とアルダーハンノキの関わりを踏まえれば、少し洒落たつもりで「妖精」と「アルダーハンノキ」をかけ、意図的に「Erlkönig」と訳したのかもしれません。

 

ともあれ、日本語では「魔王」と訳されている部分は、原文では全て「Erlenkönigエルレンケーニッヒ」もしくは「Erlkönigエァルケーニッヒ」。即ち、ここで歌われた「魔王」とは、聖木アルダーハンノキを通って妖精界(あの世)から現れる「妖精王」のことだったのです。

ケルト伝承で、アヴァロンなどの異界を治める妖精王には九人の娘(湖の貴婦人)がいるとされますが、『魔王』でも、病気の子供を異界へ誘う妖精王には、彼の娘たちが従っているというわけです。

 

このように、再生の大釜や聖木アルダーハンノキを通して、ブラン(バンのモデル?)と妖精王(キングのモデル)には繋がりがあります。

ブランは妖精王の魔具(大釜~聖杯)を授かって不死を扱う存在になり、その意味で冥王の眷族となった。

七つの大罪』で、バンの不死性は妖精王の森の秘宝(聖杯)から得たものであること、彼が一時「妖精王」と呼ばれていたこと、いずれキングの義弟になるだろうことを考えると、なかなか面白いことだと思います。

 

 

生命の泉の聖女エレイン
 ⇒聖杯の乙女エレイン

七つの大罪』のエレインは、生命いのちの泉を護る聖女でした。妖精界の神樹からもたらされてその祝福を受ける泉水は杯を満たし続け、失われれば妖精王の森も枯れ果てると言われていました。

 

 

聖なる泉(井戸/湖沼/川/水源)を守る女、というイメージは普遍的なもので、世界中の神話や説話に見出すことができます。

たとえば北欧(ゲルマン)神話には、世界樹ユグドラシルの根元に湧く泉を護る運命の三女神の話があります。三女神の長姉の名から「ウルズの泉」と呼ばれるその泉水は、世界樹を育て・保持しており、それが失われれば世界樹も枯れ果てる定めです。(そして主神オーディンは、世界樹の枝から作った「敵に必ず当たり、自動的に飛んで手元に戻ってくる槍」を持っているのでした。)

 

同じくゲルマンの民間信仰にホレ Holle と呼ばれる豊穣を司る山姥がいます(豊穣の女神の「冬」の相で、年中行事上では、類似の存在ペルヒタ Perchta と共に、日本で言う節分の鬼やナマハゲ的な扱いをされる)

一説に、その名はドイツ語「覆う hullen」に由来し、地下たる冥界・ヘル Hel に埋められた者…即ち「死者/祖霊神」の意味があるとされ、北欧神話の冥界の女王神・ヘル Hel の零落した姿だと言う人もいます。

グリム童話』に『ホレおばさん(泉の傍で糸を紡ぐ女)』(KHM24)という話があります。彼女の館は井戸の底を潜った向こう側の世界にあり、美しい景色、枝が裂けるほどたわわに実った林檎、焦げそうなほど竈いっぱいのパン、山積みの黄金など、富と豊穣に満ちていました。

冥界は死者の行く終わりの国であると同時に、全てを産み出す永遠の生命の根源でもあるからです。

 

生と死の両面性は井泉信仰にも見て取れ、井泉の水が病を癒すと言う半面、そこに棲む竜が毒気を吐いて人を病気にすると恐れたり(よって、冬至夏至日蝕・月蝕時に泉を布で覆い、毒気を予防する習慣が古くはあったそうです。家で死者が出ると鏡を布で覆う俗信とも関連するのかと思います)、泉には神の顔が映っているのだから唾を吐いたり木石を投げ入れてはならぬと戒める半面、クリスマスや大晦日の深夜0時に燃える松明を泉に投げ込んで、そこから現れる悪魔や魔女の跳梁を牽制する習慣がありもしました。

(大晦日、湖沼や海に薪や花などを投げ込むと竜神が竜宮に招いて宝をくれたという民話・説話は、日本や中国にもあります。年や節気の境には異界とアクセスし易くなるという観念は世界共通のものです。)

 

イギリスには「聖ヘレンの泉 St Helen’s Well」と呼ばれる泉・井戸が各地にあります。

キリスト教ではこれを(キリスト教を公認して広めたローマ皇帝コンスタンティヌス大帝の母・皇后ヘレンに因むとしましたが、本来はキリスト教以前の古い土着信仰…ホレや湖の貴婦人らと同じ、水の向こう側から現れる神霊(女神~妖精)の聖地だったと思われます。

キリスト教下では、ヘレンのみならず、聖母マリアや、ほか様々なキリスト教の聖女の泉として、土着信仰の井泉は語り直されていきました。聖母マリアの聖地とされるフランスのルルドの泉は有名ですね。

 

これらの井泉の底から古代ケルトの剣や盾が発見されたことがあります。日本でも金気かなけは魔を退けると言いますが、金属(特に鉄)は魔力あるものとみなされていましたから(魔を退ける半面、魔術行使の媒介にもなる)、それを異界に納めることで加護を得ようとしていたのでしょう。後の時代には金属のピン、金属のコイン、果ては小石などで代用され、井泉に投げ込むと願いが叶うと考えられるようになりました。

 

ギリシアや北欧の神話では、不思議な泉は冥界の底、原初の亀裂の混沌から湧き出しています。また、そこからは世界中の川の源流が流れ出し、それらには女神の名が付けられているか、女神が守護しています。

生命を産み育む水は、女神の女陰の奥・胎内から流れ出しているという壮大なイメージが見て取れます。

だからこそ、異界に通じる井泉は女性とセットであるべきだとの、世界共通の暗黙の了解があるのでしょう。

 

 

さて。

生命の泉と類似とみなされるものに「聖杯」があります。アーサー王物語群では騎士たちはそれを追い求めて冒険を繰り広げています。

 

聖杯の物語を初めて文章化したのは、やはりクレティアン・ド・トロワです。元々存在していたケルトの伝承をアレンジしたものだと考えられています。

彼の『ペルスヴァル、または聖杯の物語』によれば、森育ちの未熟で純朴で、故に破天荒な騎士ペルスヴァルが、足が不自由で小舟で釣りをしている男(漁夫王)と出会い、彼の城に招かれて広間にいると、一人の少年が穂先から血のしたたる槍を、二人の少年が金の燭台を、続いて一人の美しく気品ある乙女が宝石のはめ込まれた眩く輝く金の大鉢グラール(聖杯)を両手で掲げ、もう一人の乙女が銀の肉切り皿タイヨワール中世の西欧の貴族が使用した平皿で、堅く焼いたパンを敷いた上に焼いた肉の塊を載せ、切り分けて食べる)を捧げ持って入ってきて、また別の部屋へ通り過ぎていったのを見たと語られています。

ペルスヴァルは「あの大鉢は何か? 誰のための食事なのか?」と訊きたくてたまりませんでしたが、うるさく詮索するのはマナー違反だよね田舎者の僕だっていい加減わきまえたよと思って我慢しました。そして翌朝、その不思議な城を後にしたのです。

やがて彼は、首のない騎士の遺体を抱いて泣いている乙女に出会い、彼女になじられました。足の不自由な釣り人は戦で腿に癒えぬ傷をつけられて力を失った王であり、「あの大鉢は何か? 誰のための食事なのか?」とペルスヴァルが尋ねさえすれば傷が癒え、不毛になっていた王国も元に戻るはずだったのだと。

 

クレティアンの物語は未完に終わっています。しかし別の作家たちが続きを書き足し、そこで、聖杯はキリストが槍で処刑された際の血を受けた器だとの「設定」が新しく作られました。

以降の聖杯ものではそれが基本となり、キリスト教の儀式用のワイングラス(カリス)と同一視され、高足の飲み物用グラスだとイメージされがちに。

けれども、クレティアンが元にしたのだろうケルト伝承はキリスト教とは無関係です。そして聖杯に当たるものは小さなコップではなく、液体がなみなみ溜まるほど深くて、乙女が両手で捧げ持たねばならぬほど大きな皿(大鉢、大盆)なのです。

 

ウェールズの伝説を集めた『ヘルゲストの赤本』(14~15世紀編纂)収録の『フェレデュール』や、同じくウェールズ伝承集『マビノギオン』に含まれる『エヴラウクの息子ペレドゥルの物語』などは、クレティアンの『ペルスヴァル』と大筋は似ていますが、キリスト教色は全くありません。

フェレデュールが伯父を名乗る老王と共に不思議な城の広間にいると、若者二人が入ってきて、彼らの持つ非常に長い槍の先から血が三滴したたり落ち、広間の人々が嘆き呻きました。彼らが立ち去ると二人の乙女が血に浸かった男の生首を載せた金属の大盆を持ってきて、広間の人々はいよいよ激しく嘆き叫んだのでした。しかし彼は理由を尋ねませんでした。

ペレドゥルの方も同様のことが起きています。

後に、ペレドゥルの前にロバに乗った醜く黒い乙女が現れて、何故何も尋ねなかったのか、お前のせいでみんな不幸になっているぞとなじりました。

ペレドゥルは贖罪のために様々な試練を越え、ついに不思議な城に再び辿り着くと、足の不自由な老王に仕える黄髪の若者が彼の前にひざまずき、自分こそが長槍を持っていた若者であり、生首を載せた盆を持っていた乙女であり、ロバに乗った醜い女であると明かして、私はあなたの従兄弟で、あの盆に載っていた生首もあなたの従兄弟の一人である。彼はカイル・ロイウの魔女たちに殺された。伯父たる王の足を傷つけて不能にしたのも彼女たちである。あなたは予言によってかの魔女らを倒すと定められていたのだ、と説明したのでした。

カイル・ロイウの魔女たちとは魔力持つ九人の女のことで、ペレドゥルはかつて彼女たちと戦ったことがありました。

それで彼はアルスル(アーサー)王の助けを借りて魔女たちを征伐し、一族の仇を討った、と述べてこの物語は終わっています。

 

こちらの物語には不思議な力を持つ「聖杯」は存在していないように見えます。血に浸った生首は殺された従兄弟のものであって、超常現象でも神秘でもなんでもないのだと。

けれども、フェレデュール Pheredur という名が「水盤と共にある者」の意味であり、ペルスヴァル Perceval も同じ意味との説があることを鑑みれば、そうではないのだろうと思えます。

生首が浸るほど血が溜まる、深い金属の大皿。

それは水盤であり、また、大釜を思わせないでしょうか?

 

前項で、死者を蘇らせる大釜を持つブラン王について述べました。一説に、彼はそれを水盤のベイシン湖で得ました。

また、彼は戦いで足に毒槍を受け、癒えぬ傷を得たとされています。一方、聖杯の所持者である異界の城の王(釣りを行うので「漁夫王」と呼ばれる)もまた、戦いで腿に癒えぬ傷を得て苦しんでいると語られています。

このように、彼らには共通項があります。恐らく「足に癒えぬ傷を負って衰えた冥王」というモチーフがケルトの古伝承に存在していたのでしょう。トリスタンが脇腹に毒槍で癒えぬ傷を負ったのも、そのモチーフの片鱗かもしれません。

ブラン王と漁夫王を重ねる考えは早くからありました。クレティアンの『ペルスヴァル』の30年ほど後に、同じくフランスのロベール・ド・ボロンが著した『アリマタヤのヨセフ』には、刑死したキリストの滴った血を受けて聖杯を得たアリマタヤのヨセフが、その聖杯を妹婿のブロン Brons に託し、更に息子や孫に引き継がれたとあり、ブロンを漁夫王(富める漁師)と呼んでいます。(孫とはペルスヴァルのことだと解釈されます。)そして、このブロンという名はブラン Bran 王に因むものだろうと、一般に解釈されているのです。

 

足の傷ついた王(漁夫王本人とも、その兄や父親とされることも)は聖杯の所持者であり、生命の根源を管理する冥王です。そして聖杯は常に彼の縁戚の女性に捧げ持たれています。聖なる井泉を護るのが常に女性であるように。

聖杯は、生命の泉や魔法の大釜と同じく「再生の力」を持っています。傷は癒され、老人は若返り、死者は蘇るはず。なのに冥王は癒されていません。外から新たにやって来た若い英雄に「その聖杯は何か? 誰のものか?」と問われねば救われないことになっています。どうしてでしょうか?

 

古代ケルトに肉体欠損者は王と認められぬという慣習があったため「王権を失った=聖杯の恩恵を得られなかった」のだという説がありますが、私は少し違う考えです。

恩恵を得られなかったのは、思うに、彼が生殖能力を失っていたからではないでしょうか。

漁夫王は「腿」に癒えぬ傷を得ているとされますが、伝承の世界では男性の腿は男性器の暗示であることがままあります。実際、ドイツのヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハの作品では、傷は両足の間、或いは睾丸にあると述べられてもいます。(マロリーの『アーサー王の死』ではパーシヴァル(パルチヴァル)も、女性の誘惑に負けた自分を恥じて己の「腿」を自ら斬ったと語られています。)

 

血のなみなみ溜まった深い器と、その中に浸る生首。

ケルト伝承上の聖杯はそんな姿です。

先に述べたように、首は霊魂の象徴物です。

即ち、霊魂が血の器に浸かっている。血の池地獄で溺れる亡者のように。

これは「冥界」そのものの暗示なのだと、私は解釈します。

血の器たる冥界は女神の子宮です。ですから聖杯(井泉)を持つのは常に女性です。

けれども、生命は母親だけでは産み出せません。父親がいなければ。

なのに彼の「足」は傷付き、命は産み出されることがなくなってしまった。このままでは彼の王国(世界)は荒廃し、水は枯れ、動物は仔を産まず、植物は葉も実もつけなくなって、騎士は死に、女たちは愛する人を失い、孤児たちも死に絶えてしまうでしょう。

この不毛を防ぐために、外からやって来た英雄…新たな父親が必要とされたわけです。実際の聖杯物語からは、もはやその展開は消え失せていますが、古い伝承の形は恐らく、「その聖杯は何か? 誰のものか?」と若き英雄が尋ねれば「あなたのものです」と答えが返り、彼が新しい冥王になる、というものだったのではないでしょうか。

もしかしたら古い時代には、祭器の大釜を挟んでそのような問答を行う、冥王(祝福された聖王)の交代を模倣した祭事が行われていたのかもしれません。

 

 

さて。
七つの大罪』の生命いのちの泉は、小さな金属カップから湧き出していました。これは聖杯のイメージなのだと思います。

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この聖杯をエレインが護っていたように、アーサー王物語上にも、聖杯城の聖女エレインが存在します。トマス・マロリーの『アーサー王の死』に登場する、聖杯城のペレス王(聖杯王/漁夫王)の娘です。

彼女はランスロットとの間に息子ガラハッドを儲けます。大まかなあらすじは以下のようなものです。

 

ある時ランスロットが冒険の旅に出かけ、「橋を渡った」ところ、美しい塔と城下町を見出しました。その住人達は何故か彼がランスロットだと知っていて、大歓迎し、あなたによって我々は危難から救われると言うのでした。

彼らが言うに、この塔には「嘆きの姫」が閉じ込められていて、五年の間、煮えたぎる熱湯で茹でられ続けている。彼女を救えるのはあなただけだと。

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鉄の扉で閉ざされた灼熱の室内では、一糸まとわぬ世にも美しい処女おとめが煮られていました。彼女こそがエレインです。その美しさを妬んだ魔女たち(モルガン・ル・フェイとノースガリスの女王)によって閉じ込められ、この世で最も優れた騎士の腕で煮えたぎる湯から抱きあげられるまでは、この苦痛から逃れられない呪いをかけられていたのでした。

エレインを救った後、人々に請われて墓底の竜蛇を退治し、彼女の父であるペレス王の城に案内されました。彼はそこで(神饌を運ぶ鳩の先触れでもたらされた)食事をふるまわれ、世にも美しい幻の乙女が両手で捧げ持つ金の聖杯を見ました。

ランスロットはしばらくその城に滞在しました。

彼と娘に床を共にしてもらわねばと、ペレス王は心を砕いていました。というのも、二人の間にガラハッドという男児が授かり、その子は将来すぐれた騎士となって、あらゆる国を救い、聖杯を手にするのだと、予知の力で見抜いていたからです。

けれどもランスロットアーサー王の妃グネヴィアに不倫の愛を捧げていて、他の女性には目もくれません。そこで、エレイン姫の侍女のブリーセンが策略を巡らし、グネヴィア王妃が密会を求めてきたとランスロットに思いこませて、とある城の窓の塞がれた部屋に連れて行き、媚薬的なワインまで飲ませました。彼女は指折りの魔術師だったのです。すっかり惑わされた彼は、その部屋で待っていた女性をグネヴィア妃だと思って歓喜の中に抱いたのでした。

翌朝になって見れば別人ではありませんか。彼は剣を抜いて成敗しようとしましたが、全裸でひざまずき許しを請う少女がエレイン姫だと気付くと、許し、腕に抱いてキスをしました。何故なら彼女は(ランスロット査定で)グネヴィア妃の次に美しかったからです。

その代わり、女魔術師ブリーセンだけは許さない、あん畜生め、もし見つけたら首をはねてやると言いました。

ランスロットは去り、月満ちてエレイン姫は男児ガラハッドを産みました。彼女は誰の求婚も受け入れずランスロットへの愛を貫きました。その噂を聞いたグネヴィア妃は激しく嫉妬しました。

この頃のアーサー王は、バン王の仇たるクラウダス王を討つべくフランスに遠征し、凱旋を果たしていました。祝いの大宴会にエレイン姫もやって来ました。ランスロットに逢いたくてたまらなかったからです。

ランスロットは挨拶もせずツンとして彼女を悲しませましたが、それは以前剣を抜いたのが気まずかったからで、内心では、今日のエレイン姫は「誰よりも」美しいとドキドキしていました。

グネヴィア妃は穏やかならず、エレイン姫の寝室を自分の寝室の隣に用意させて、ランスロットに夜に訪ねるよう命じました。壁越しにベッドの睦言を聞かせて、彼が誰のものか思い知らせてやろうという思惑でした。

ところが女魔術師ブリーセンはお見通しで、またもランスロットを惑わせたので、彼はグネヴィア妃と間違えてエレイン姫の寝室に入ったのでした。

ランスロットとエレイン姫の熱烈な睦言を聞かされたグネヴィア妃は怒り狂ってランスロットをなじり、愛する人に嫌われた精神的ショックで気がおかしくなったランスロットは、そのまま野にさまよい出て行ったのでした。

気狂いになったランスロットは暴れ回り、やがて道化扱いされ、乞食のように人々に食べ物を投げ与えられて生きていました。紆余曲折の果てに、二年後、聖杯城の庭の泉のほとりで眠っていたところをエレイン姫に発見されました。

目覚めれば暴れるだろうからと、ブリーセンが一時間目覚めない魔法をかけ、ペレス王の指示で聖杯の部屋に運び入れました。そして聖杯の威光により、彼は正気を取り戻したのです。

それから彼は「罪を犯した騎士シュヴァリエ・マル・フェ」と名乗り、エレイン姫と共に、ペレス王に与えられた城で暮らしました。

彼はその城を「喜びの島」と呼びましたが、一方ではグネヴィア妃への未練尽きず、彼女と自分を描いた盾を作らせたり、日に一度はアーサー王とグネヴィア妃の国の方を向いて泣き崩れるのでした。そして結局はそちらに戻りました。

妃と筆頭騎士の不倫など夢にも疑っていないアーサー王は、ランスロットが一時気狂いになったのはエレイン姫に焦がれてのことだったのだろうと納得して追究しませんでした。

ずっと後、ランスロットは聖杯探求の果てに再び聖杯城(異界の城)に辿り着きました。そこで彼にとっての聖杯探求は完了したと告げられた後、ペレス王に対面したところ、エレイン姫が亡くなったと聞かされて涙を流したのでした。

 

 

マロリーの物語では、聖杯を捧げ持つ幻の乙女とエレイン姫は別人のように語られていますが、彼以前の聖杯ものでは、聖杯を捧げ持つのは決まって聖杯城の主(漁夫王/不具王/聖杯王)の近親の女性(姉妹、娘)ですから、エレインを聖杯の乙女と見ても間違いではないと思います。実際、騎士ガウェインの前で、彼女は幻の乙女と共に聖杯を持ち、彼の傷を癒したと語られています。

 

伝承上の人物は地域や語り手によって様々な人生を歩んでいるもので、エピソードが互いに矛盾することも珍しくありません。よって伝承をまとめる際は、一人の英雄を親子や兄弟に分割し、パラレル的な性格やエピソードを分配することがままあります。

ランスロットはバン王の息子ですが、「エレインを妃として聖王ガラハッドを産む」という点では、バン王のパラレル的な姿と見ることもできます。何故なら、ランスロット自身の洗礼名が「ガラハッド」だからです。(よって、ガラハッドはランスロットの分身とみなされる。)

ランスロットには、ペレス王の娘のエレインの他にも、更に別人のエレインに愛されたエピソードがあります。「バン王とエレイン妃」のパラレルエピソードがランスロットに割り振られている(もしくは「ランスロットとエレイン姫」のパラレルバージョンとしてバン王の妃の名がエレインになった)と見てもいいのではないでしょうか。

なお、聖杯城のエレイン姫が「塔の中に閉じ込められて煮られていた」のは、死の暗示です。亡者は地獄で釜茹でにされるものです。死者であった彼女はランスロット(バン)によって生き返り、彼の子を産んだのでした。

 

 

聖杯の物語は「贖罪と救済」という側面も持っています。

ペルスヴァルは不思議な聖杯の行列を見たのに「その聖杯は何か? 誰のものか?」と尋ねませんでした。このことで後になじられます。あなたのせいで聖杯王の傷は癒えず、世界は不毛になるのだと。

12~13世紀ドイツのヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ『パルチヴァール Parzival』『ティトレル Titurel』では、このことや、故郷の森に残してきた母が悲しみのあまり死んだのを長年知らずにいたことを、彼の「怠惰の罪」だと定義しています。

ペルスヴァルは悪意を持っていません。積極的に悪を成したこともありません。ただ無知で、良くも悪くも純粋なだけでした。

けれど、知るべきことを知ろうとしなかったこと。「何も知らなかった」ことこそが、結果的に周囲に不幸をもたらし、彼の重い罪となったのです。以降、彼は贖罪のために生きて聖杯を探し求めることになります。

 

同じように、聖杯王(漁夫王/不具王)も罪を負っているように語られることがあります。油断から脚に傷を負い、力を失った。それこそが彼の罪です。故に癒えることも死ぬこともなく苦しみ続けなければなりません。戦いで後れを取ったからとも、女性に惑わされたからだとも言われます。

彼の足に傷を付けたのは彼自身の神器である「聖槍」だと語られることがあります。「聖槍」は聖杯王の、「聖杯」は彼の姉妹もしくは娘である聖女の持ち物で、この二つは対の扱いです。

マロリーの物語では、聖杯王ペラム(エレイン姫の父)が脚に傷を負った経緯を以下のように説明しています。

彼には騎士ガルロンという弟がおり、魔法で姿を隠しては、戦争中のアーサー軍の多くの騎士を殺していました。(冥界の存在、一種の死神であることの暗示。神霊は見えない存在なので。)アーサー王の騎士だったベイリンは、殺された騎士たちの仇を討つべくガルロンを追い、聖杯城に辿り着きます。そこでは全ての武装を解かねばならなかったのですが、彼は隠し持っていたナイフでガルロンを殺しました。怒りのペラム王に追われたベイリンは、聖杯城を逃げ回るうちに「聖槍」を見つけ(ここではキリスト処刑に使われたロンギヌスの槍と同一視されています)、それでその本来の持ち主であるペラム王を刺したのです。この「嘆きの一撃」が当たった瞬間、轟音と共に聖杯城は崩れ落ち、周囲は不毛の荒地となって、ペラム王は癒えぬ傷に苦しむことになったのでした。

 

聖杯の物語を『七つの大罪』に強引になぞらえるなら、聖杯王はキング、聖杯の乙女はエレイン、そして外からやって来た英雄がバンということになるでしょう。

キングの親友のヘルブラムは人間界に出て人々を殺し、それが遠因となってキングは王としての力(記憶)を失う。けれどもエレインがバンに聖杯を与え、彼が第二の聖杯王(妖精王)となったことでキングが王として甦り、滅びに瀕していた彼の王国も復活する、と。

はい、こじつけです(笑)。

 

ちなみに、神話伝承上で女神が英雄に生命の果実(黄金の林檎)や聖杯を与える場合、それは女神と英雄の神婚を暗示しています。女神の夫となった英雄は異界の聖王となり、人としては死ぬのです。

マロリーの物語でも、聖杯王となったガラハッドは、その一年後に魂が抜け出て天に去り、人としては死んだと語られています。(同時に、聖杯と聖槍も人の世から消え失せました。)

バンも、人としては死んで、人ならぬ不死者になったと見ることができるかもしれませんね。

 

ところで、古い物語では全くそうではありませんが、完全にキリスト教化されたマロリーの物語では、聖杯は性的に汚れなき男、即ち童貞にしか得られないことになっています。多くの騎士たちが失敗したのにガラハッドだけが成功したのは、彼が童貞だったからなのでした。

七つの大罪』の作者曰く、バンは過去に誰とも深く触れあわず、商売でですらそんなことはなかったそうです。即ち、性的に純潔であろうと思われます。だからこそ聖杯を得ることができた……のかも?(こじつけです。いや、すんません。)

 

エレインという名前

一般に、エレイン Elaine という名は「ヘレン Helen」のバリエーションだと言われます。ヘレンの古代フランス語形由来の綴りがエレインです。

ちなみに、中世英語語系の綴りが「エレン Ellen」になります。『七つの大罪』で死者の都の入口を管理していた少女の名がエレンでしたが、エレンとエレインはどちらも「ヘレン」のバリエーションだというわけですね。

 

ヘレンと言えば、ローマのコンスタンティヌス大帝の母・聖ヘレンに因む名として認知されていますが、ギリシア伝承に語られる、トロイア戦争の発端となった絶世の美女ヘレンも忘れてはなりません。

ヘレンは「太陽ヘリオス」系の光輝を意味するギリシア語に由来するとの説があり、トロイアのヘレンのイメージもあってか、輝くように美しい女性に付ける名だと解説されることがあるようです。

 

しかし異説もあります。

アーサー王物語に見られるエレインは、実はヘレンのバリエーションではなく、ウェールズ語で「小鹿」を意味する「elain」に因むのだとか。

また、ウェールズ語形バリエーションとされる「エレン Elen」も実はヘレンとは無関係で、ウェールズ語の「elen」に由来するとの説があります。その意味は「妖精」です。

 

 

妖精王の森大焼失
 ⇒『My Fairy King

 さて。ここまでの項も大概でしたが、最後のこの項はいよいよ与太話です。肩の力を抜いて、テキトーに聞き流しておいてくださいね。

 

イギリスの有名ロックバンド・Queen のデビューアルバム『戦慄の女王 Queen』(1973年)に『My Fairy King』という歌が収録されています。

その歌詞が、なんだか『七つの大罪』妖精王の森大焼失のエピソードをイメージさせるなぁ、というだけの話です。


Queen - My Fairy King (Official Lyric Video) - YouTube

 

以下、英語の歌詞をおおまかに翻訳・意訳してみます。

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その国では、
馬は鷲の翼を持って生まれ、ミツバチは針を持たず、鳥の歌は止むことがない
ライオンと鹿は同じ巣にやすみ、川は澄み切ったワインで作られ、その流れが止むことはない
(巨大な)竜が(小さな)スズメのように空を舞い、(弱々しい)生まれたての仔羊も(たくましい英雄)サムソンのように闘志を見せつけ
(そんなことが)続く まだ まだ まだ まだ まだ まだ…

 

私の妖精王は、物事を見抜く。お前や私には知れぬものさえ見て
【大気を支配し、潮を変える】
私の妖精王は、正義を行う。間違いを犯しはしない
【おお、彼は風を導く】

 

そののち、非道を行う人間が夜陰にやって来た
盗賊のようにふるまうために、ナイフのように殺すために
魔法の手から力を奪い去るために
約束の地(楽園)に滅びをもたらすために

 

奴らはミルクを酸っぱくした(腐らせて台無しにした)
まるで私の静脈の血のように青く
【何故解らない?】
地獄に炎が燃え盛り、苦鳴が叫ばれる
【神の子よ、どうか私を自由に逝かせたまえ】

 

海は干上がろうとも砂上に塩はなく
季節は飛び去ろうとも助けの手はなく
哀れな男の目に真珠の輝きの歯(笑顔)が映ることもない

 

誰かが、誰かが、私のはねを色褪せさせた
私の妖精の環、輪を壊し、その誇りの全てで王を辱めた
風は変わり、潮は逆流したのだ

 

マザー・マーキュリーよ、
奴らが私にしたことをご覧ください
私は逃げも隠れも出来ないのだから

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かつて妖精王ハーレクインは自国に完全な平和を築いていました。その享受に慣れ切った妖精たちが怠惰になるほどに。

そして人間の盗賊のバンが「生命いのちの泉」という魔法の力を奪うためにやって来て、結果的に森は業火で失われ、妖精王の誇りを失わせた、と。

ちなみにバンは、現行設定では三節根や四節棍で戦いますが、イラスト集の作者コメントによれば、登場当初はナイフで戦うイメージだったそうで、連載初期の扉絵イラストではナイフを持って描かれています。

 

たまたまかなとは思いますが、ちょっとイメージが似ていますよね。

  

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