【考察】バンのこと(第二部序盤時点)
※2015年5月時点の文章です。
バンは『七つの大罪』のメインキャラクター。副主人公の一人です。
20年前、妖精王の森の「
刺し傷や骨折程度なら数瞬で快癒。首を落とされても心臓を潰されても死なず、全身ミンチでも数分~数十分(?)で復活し、毒も効かず、老化もしません。血を抜かれても泉のように湧き続けます。
その血は吸血鬼族に言わせると最高の美味で、妖精王の森を異常な速度で育てる効果もあります。
細身ながら身長2mを超える大男。
巨人族のディアンヌを「デカ女」と揶揄して憚りませんが、人間の範囲内でなら、彼も巨人と呼ばれておかしくない背の高さです。
顔立ち自体は端正ながら、目つきや口元に険があり、顎から首筋に伸びた大きな傷も相まって、初対面の相手(しかも山賊)を「なんて悪党面だ!!」と慄かせるほどの悪人顔です。
ただし笑顔は愛嬌あるキツネ顔で、笑えば子供のように無邪気に見えます。
飲酒を大いに好み、それでいて<大罪>中(王国聖騎士中?)最も酒に弱い。
陽気な絡み酒で、いよいよ酔うとヌイグルミ的なもの(ホーク、キングのクッション)にしがみついて離さなくなる傾向があります。
不死身体質のお陰で無茶呑みしても体を壊しませんし、二日酔いに苦しむこともないようです。
バンの生い立ち
バンの生い立ちは恵まれたものではなかったようです。
第51話
バン
「団ちょは… 一緒に来いっつったんだよ!!!」「生まれた時からずっと どこ行っても つま弾き者の クソみてぇな人生送ってきたクソみてぇな男にな!!!」
「そんな物好きの変人は この世に」「エレイン と団ちょだけなんだよ!!」
第57話
ゴウセル
「彼は 自ら望んで生まれた存在ではない…… だから俺には殺せない」
バン(ムッとしたように黙り込んでから、いつもの顔で嗤って)
「この世に好きで生まれる人間がいるかっつ~~の」「どけ…! 俺が殺す」
メリオダス
「やめろ!」「あいつにはまだ人間の部分が残ってる…!!」
中略。バンがメリオダスの隙をついて魔神化デールの心臓をもぎ取る
メリオダス
「……バン」「なんで…殺した!!」
バン
「化け物になっちまった野郎の クソみてぇな人生に幕を引いてやったんだろ」「感謝してほしいくらいだぜ…♪」
メリオダス
「だったら お前の人生はどうなんだ」
バン
「オ~~ウ♪ まさにクソみてぇな人生さ 頼むから幕を引いてほしいもんだぜ♫」
小説『七つの大罪 セブンデイズ』
「あなたは……何が目的で『生命の泉』を求めるの?」
振り返り、エレインは再びバンにたずねた。
「そうだな――」
いつの間にか、バンのほうは自分を拘束していた大樹の枝の一つに腰掛けていた。
エレインの問いを聞くと、拒絶するでもなく、首をすくめてあっさりと答えてくれる。
「ろくでもねぇ人生も長く生きられりゃ、いつかは……いいことあるかもな、って。そんだけ♪」
バンがその答えを口にした瞬間、エレインはもう一度、オルゴールにスイッチを入れた。
心の声を聞きながら、彼の心象風景に浮かんだ彼自身の姿を垣間見る。
――人相の悪い男に殴る蹴るの暴行を受けている幼い彼の姿が見えた。
――凍りつくような夜、たった一枚の毛布もなく震えている彼が見えた。
――へこんだ腹に盗んだパンを抱えて懸命の形相で逃げる彼が見えた。
ろくでもねぇ人生。
その言葉にも嘘はない。
現時点で詳細は語られていませんが、孤児、もしくは被虐待児だったのでしょう。暴力を振るう保護者(支配者)の元を逃げ出すか捨てられたかして、幼い頃から路上で暮らしていたのだと思われます。
「どこ行っても つま弾き者」で、まっとうな職にも就けず、窃盗で命を繋ぐうちに、他者の物品や能力を奪い取る<
エレインと出会うまで、彼は<
この生い立ちは彼を形作る要因であり帰結点です。行動も願いも愛も全てがここに起因しており、巡り帰ってくるものであるように思います。
例えば、酔うとホークやクッションにしがみついて離さなくなることや、一時期ヌイグルミ集めに凝って大量の盗品に埋もれて寝ていたことも、幼少期に与えられるべき愛情の欠乏による発達不全の露呈・寂しさの表れ・一種の幼児返り……などと深読みすることが可能かもしれません。
バンのファッション
カッコよくセットされて逆立った髪。胸を大きくはだけ、ヘソ出し・ローライズのセクシーなレザースーツ。セクシー過ぎて一部読者間で「ゲイファッションっぽい」と評されることもある(?)ほど、バンはファッションに独特のこだわりがあるように見えます。
が。本当にそうなのでしょうか…?
まず髪型。ファンブックによれば、あれは整髪料などでセットしたものではなく、一種の癖毛で、洗って放っておくと乾くにつれ勝手に逆立ってああなるのだそう。洗いざらしのボサボサ頭だったんですね。
次は服。あの赤いスーツが盗品なのはご存知の通り。そこで本来の持ち主がその服を着ていた様子を見てみると…。
あれ? 胸はろくにはだけてないし、ヘソ出しでもローライズでもないよ?
どうやら、2mを超す長身・細マッチョのバンにはサイズが合わなかったようで、それを無理に着たため、結果的に胸はだけ・ヘソ出し・ローライズになった様子。(袖丈だけは合っていますから、元々袖が長いデザインの服だったんでしょうか?)
つまり、あれはセクシーさを狙ったこだわりのファッションではなく、「ぱっつんぱっつん」の「つんつるてん」だったのです。
思えば、20年前にエレインに出逢った時の服も上着の丈が短くてヘソ出し、ボタンは全開で胸を完全にはだけていました。
もしかするとあれもファッションではなく、サイズが合わない服を無理に着ていたのでしょうか?
バンは幼い頃から貧困と孤独の中にあり、他者から奪い盗むことで生き延びてきたと語られています。自分に合った服を買う、まして作ってもらうことなどあるはずもなく、奪った服だけを着て育ってきたのでしょう。
身体が並外れて大きく成長するにつれ、サイズの合うものが手に入れ難くなった。けれども、それを気にすることもなかったのかもしれません。身なりに気を配っていられる幼少時代を送らなかったから、そこそこ気に入って動けて裸でないのなら満足だったのではないでしょうか。
ちなみに聖騎士時代のバンは、(黒のランニングシャツと黒ズボンだけのことが多いですが、)仕立てのよさそうなサイズの合った服を、ボタンも全部とめてきちんと着ています。
この頃は給料も困らない程度に出ていたでしょうし、宿舎住まいで、口うるさく生活指導するおっさんもいましたから、(酔って脱ぎ捨てて失くさない限りは)ごくまっとうな服装でいられたのだと思われます。
第一部での赤いレザースーツは、お気に入り、且つ、流行りの既製服だったのか、何度駄目にしてもどこからか同じものを強奪してきていたものです。
第二部ではついにそれを脱ぎ、上着のみですが新しいものに着替えました。
この服も胸がはだけています。けれどサイズが合わないからではないでしょう。正当に購入され、彼のために選ばれてプレゼントされた服だからです。
贈り主はキングとディアンヌ。はだけること前提の胸部に背中に大きく開いた丸い穴、という奇抜なデザインは、セクシーさを際立たせる演出…ではなく、しょっちゅう胸を貫通されては服を台無しにしていた過去を踏まえての気遣い・願いかと思います。出来るだけ服を長持ちさせてほしい、他人から強奪しないで済むようになってほしいと。
第117-118話でゲラードの木の枝に胸を貫かれた際、さっそく役に立っていました。(枝は狙ったように穴を貫通し、服は破れませんでした。)
善か悪か
人は誰しも善と悪の両面を持つものです。バンも例に漏れませんが、少々特殊であるように思います。
バンは、死者の都の入口を守る幼い兄弟に優しく接しました。
では子供に優しいかと言えばそうでもなく、王都中の子供からヌイグルミを奪い、泣き声が都中に響き渡っていても素知らぬ顔でご満悦でした。
バンは、危機にあったセネットやジェリコを救いました。
では女性に優しいのかと言えばそうでもなく、セネットからは
バンは、バイゼルでディアンヌが「
では仲間想いかと言うと必ずしもそうではなく、エリザベスがビビアンに誘拐された時は、救出に行くふりをして、終始「ケルヌンノスの角笛で女神族と交信してエレインを生き返らせる」ことしか考えていませんでした。
角笛は王城の地下にあると判っていたので状況を利用したのです。「俺にも 行く理由ができたんだよ♪」と同行し、王都に着けば「城に行ってみよーぜ~」とメリオダスを誘導。途中で彼が別の方に気を取られると「城に行くんじゃねーのかよ!?」と大慌て。結局「団ちょ 俺は城を探してみんぜ♫ 手分けした方が効率いいだろ?」と体よく別れて、エリザベスなど全く探さず、真っ直ぐに角笛の部屋に向かっています。
また『エジンバラの吸血鬼』では、任務中に飲酒したうえ、敵と交戦中のキングとディアンヌから密かに体力を奪い取り、二人が苦戦する様を肴に酒を飲みつつ笑い転げていました。
バンは確かに優しさや思いやりを持っています。
けれども、自己の欲望や都合を優先し、他者の苦しみや悲しみを意に介さない場面も多いのです。
「気まぐれシェフ」とメリオダスが称する料理への姿勢と同じで、気が向けば優しくするし与えもする。けれど気が向かねばやらず、むしろ奪うことを躊躇しない。
時にはひどく暴力的になることもあります。
ダルマリーでは、チンピラ風ではありますがバンに何をしたわけでもない男達に因縁をつけ、瀕死になるまで殴りつけて、着ていた服を奪い取っています。仲間達には「服は落ちていた」とうそぶき、悪びれた様子はありませんでした。
他人の持ち物を欲しがり、暴力を振るってでも手に入れねば気が済まない。そんな欲深い姿を度々見せる一方で、聖人のごとく無欲に見えた事例もあります。
妖精王の森から
森が枯れると、この森特産のベリーで作る酒が飲めなくなる…というのが理由でしたが、「永遠の命」と「旨い酒」を天秤にかければ、大抵は「永遠の命」の方を選びそうなものなのに「酒」を選んだ。一見では無欲に感じられる行動です。
この、普通の人間とは異なる価値観にエレインは大いに驚かされ、彼に興味を抱くきっかけとなったわけですが…。
とは言え、他の場面では「大切なものだから返して」とどんなに懇願されても、まるで聞く耳を持たないのも事実。
ですから、やはり「気まぐれ」「優先順位の差」であって、価値観は独特であっても、無欲さや善心からの行いであったとは言い難いと思うのです。
悪のようでいて気まぐれに善をなし、善のようでいて気まぐれに悪を躊躇わない。
バンは特殊な精神性を持つキャラクターだと思います。
それもまた、生い立ちに起因するのでしょう。
彼が強欲なのは、物も情も欠乏した幼少期を過ごした故。心の飢餓を満たすために、他人のものであっても手元に集めねば不安なのでしょう。エールのラベルやヌイグルミなど、収集系の趣味を持つのも同じことかと。
一方で、今はもう、ラベルやヌイグルミを集めている様子はありません。(ファンブックには「昔」の趣味だと書いてあります。)あれほど執着していた
それも生い立ちに起因した、自己防衛のための無意識の心の動きであり、これが、彼の対人関係に大きく影響を及ぼしているようにも思うのです。
自由な心、目隠しの心
バンは一見して陽気な男です。常に歌うように喋り、多くの相手と屈託なく、親しく接しているように見えます。
特に<豚の帽子>亭の仲間とは仲が良く、絆も深いように見えていたのですが…。
第87話で、彼はホークを威圧して言いました。「いつから俺とてめぇがダチになったよ?」と。ホークの方は友達だと思って会話していたのに。
そのうえで、第88話や第105話では、メリオダスだけは「最高のダチ」で、「たった一人のダチ」だと言ったのです。
えっ。あんなに仲良しに見えるのに、ホークは友達じゃないの?
ホークだけでなく、<大罪>の仲間みんなと気の置けない親しい関係に見えたのに、彼が友達だと認めているのはメリオダスだけなのか。
人間関係のどこからを友達と見なすか。基準は人それぞれです。
何でも打ち明けあえたり絶対に裏切らない人でなければ友達とは言えないと考える人、ちょっとでも楽しく会話できたならもう友達だと考える人、色々でしょう。正解はありません。
気安く人に接しているようでいて、バンは線引きがかなり厳しいタイプであるようです。
彼は自分を「どこ行っても つま弾き者」の「クソみてぇな男」だと評価しています。そして、エレインとメリオダスだけが、そんな自分を拒絶せず、話を聞いてくれ、必要としてくれたのだと、崇拝に近い思慕を抱いているようです。
この二人だけが特別で、その他は「知人」に過ぎない。そういうことなのでしょうか。
けれどもホークが一度命を落とした際、バンは大泣きして悲憤し、「お前にはひでぇこと さんざ言っちまったな ダチじゃねえなんて……………… …本当にひでぇこと言っちまった」「……俺が気に入った奴は みーーんな… 俺の前から いなくなっちまう……」と懺悔していました。生き返ると、泣いて喜んだものです。
傍目には、十二分に友愛と呼ぶに足る感情だと思います。先に述べたように、ホークはバンを友達だと思っているのですから、両想いで、何ら問題はないはずなのに。
けれどその後も、メリオダスだけが「たった一人のダチ」だと言っている。どうして友とは認めないのでしょうか。
2014年の夏に、『七つの大罪』の担当編集者が、バンは苦労人なので男娼をやっていた(かもしれない)とツイッター上で発言し、ファンの間で大物議をかもしたことがありました。結局、それは作者にきっぱり否定され、担当編集者の謝罪で落着しましたが。
作者によれば「それはないです。 そんな程度の愛や他人との関わりさえなかった」のだそうで。
つまりバンは、エレインと出会うまで、友情や愛情を交わし合う相手はおろか、体だけの繋がりすら持った相手もいなかった。心も体も、誰とも触れ合ってこなかった。そういうことですよね。
だからなのでしょうか、「友達」の基準が厳しいのは。
逆で、基準が厳しい故に親しい人間ができなかったのでしょうか。ホークの場合のように、親しくなっても友とは認めず、自ら縁を断ち切ってきたのかも?
他人との関わりを持たなかったというバンにも、親しく付き合った人間が一人もいなかったわけではないことは、既に語られています。
小説『七つの大罪 セブンデイズ』によれば、恐らく十代半ば~エレインと出会う少し前くらいまで、バンはジバゴという男と行動を共にしていたそうです。(本編でも、外伝『バンデット・バン』で名前だけは出ています。)
彼は盗賊として駆け出しだった若いバンに、酒の呑み方や戦い方など、世間の渡り方のあれこれを直接・間接に教えてくれた、友であり師父のような存在でした。(三節棍を用いての戦闘スタイルも、ジバゴの戦い方を真似て学んだものらしいです。)
小説『七つの大罪 セブンデイズ』
――ろくでもねぇ人生。最初エレインと会ったとき、バンは自分の生のことをそう表現した。
もちろん、その言葉に嘘はない。妖精と違って、人間の社会には階層のようなものがあって、彼はその中でも最下層と呼ぶべき環境の中で育った。理不尽な暴力によって命を奪われかけたこともある。飢えで死にかけたこともある。
ただ、一方でそんな彼の生も、ある時期を境にして多少の変化が生まれていた。
とある人間に出会ってからだ。
ジバゴ――。
それがその人間の名だった。
エレインがバンの中にある記憶を垣間見るに、年齢はバンよりも上なのだろう。男性だ。出会ったとき、バンの背丈はいまよりずっと小さく、その人間は大きい。
ジバゴとの記憶の中で、バンはよく笑っていた。いまエレインの前にいるバンのように。
そして、ジバゴのほうはそんなバンによくこう言って聞かせていた。
『あまり人を信用するな』
まるでエレインの兄ハーレクインのようだったが、もちろん、その言葉の内実は兄とは違う。兄が妖精であるエレインに対して「人間を信用してはいけない」と言うのと、ジバゴが人間であるバンに対して同じことを言うのとでは、意味合いが少し変わってくる。おそらくジバゴという人間は、そのころのバンを取り巻く環境を考えて、そういうことを言っていたのだろう。盗賊としてはまだ駆け出しだったバンが己の身を守れるように。
いずれにせよ、ジバゴと共にいるバンはいつも楽しげだった。
ただし、である。
そんなジバゴが最後の最後でバンのことを裏切った。
(中略)
過去、バンにはそのジバゴという人間のせいで窮地に陥った経験があった。命の危険にさえさらされている。
そして、その直後、ジバゴはバンの前から姿を消している――。
思えばディアンヌも、バンと同じように幼い頃から一人で暮らし、孤独に苛まされていたものです。やがて保護者・教師・友達の面を兼ね備えたハーレクイン(キング)と出会ったわけですが、バンにも同じような存在がいたのですね。
彼と共にいた時代のバンは常に楽しげだったと、エレインは彼の記憶から読み取っています。
にも拘らず、バンは、自分を認めてくれたのはエレインとメリオダスだけだと言い切っていたわけです。
ジバゴに裏切られたからでしょうか?
ところが、エレインに「(ジバゴに)何か言いたいこととか、ないの?」と問われても、「ねーよ♪」といつも通りの裏表ない笑顔で返し、捜してまで会いたいとは思わないが、もしも偶然再会できたら、昔みたいに旨いエールで一晩中飲み明かすさと、まるで屈託なさげに述べているのです。
エレインは、裏切られたのに恨まない、親しかったのに特には会いたがらない、それでいて屈託がない、そんなバンの心情を不思議に思い、行方不明の兄への鬱屈を抱えている自分と引き比べて、バンは心のありようが自由なのだと結論付け、強く惹かれることになります。(少し話がそれますが、エレインは、バンにとってのジバゴは自分にとっての兄に近い存在だと理解しているんですね。)
過去に何があっても囚われない、粘着しない。奔放で自由。それが、縛られている自分の心とは違っていて、とても眩しいと。
けれども。私はバンが過去に囚われていないようには感じませんでした。(心の読めるエレインが自由だと言ってるんですから、異を唱えるのは愚かなんでしょうけども。)
ジバゴは「友達」だったのとエレインに問われて、バンは「なんか背中がむずがゆくなる」と笑い、「どっちかっつーと、『相方』とかのほうがいいんじゃねーの♪」と返しています。
ホークを決して「友達」とは呼ばず、何故か「師匠」と呼び続けるように。
ディアンヌが、ハーレクインを「友達」と呼んだ素直さとは違います。
私は、バンは本当は、ジバゴに裏切られた(もしくは、結果的に袂を分かつことになった)ことが少なからずショックだったのではないかと思いました。
でなけれは、あれほど強く悲痛な口調で、つま弾き者の自分を認めてくれたのはエレインとメリオダスだけだ、なんて言わないでしょう。一時でも楽しい日々をくれたジバゴがいたのですから。
また、ジバゴに会いたくないのか、捜しに行かないのかとエレインに問われた時は、少し困惑してから「どこにいるかも分かんねーし。大体、向こうが会いたがらねぇかもしれね~だろ♪」と答えています。拒絶されるかもしれないという、微量の恐れが読み取れないでしょうか。
けれども彼自身がその痛みに気付いていない。だからエレインにも読み取れなかった。そんな風に見えます。
バンは、ジバゴやホークを友達と呼ぶことを避け、相方や師匠と呼んでいます。
彼にとって「友達」は特別な枠で、期待が大きすぎるから、少しずらした定義で誤魔化してしまうのではないでしょうか。
期待を裏切られたとき、耐え難いから。
気まぐれに善をなし、気まぐれに悪を行う。執着し、かと思えばあっさり手放す。
エレインが「まばゆいほど自由」と長所に捉え、キングが「自分の興味のあるもの以外には無関心」と短所に捉えたバンの気ままな有りようは、実は、己の心の苦しみから逃避することによって生じたものかもしれません。
痛みを恐れて心を麻痺させ、苦しみを避けて目を塞ぐ。
それによって、執着と無関心の両極端を行き来する、常に陽気な、不思議な男が出来上がった、のかも。
そう妄想してみたりもします。
だからこそ、初めて恐れずに直視して求め続けることのできたエレインの存在が、初めて素直に友と呼べたメリオダスとの関わりが、彼のこれからの救いとして際立って来るのでしょう。
バンとキング
メインキャラの中で、メリオダス、ホークに次いでバンとの関係が深いのはキングです。豚の帽子亭では同室ですし、しょっちゅう喧嘩しているものの、戦闘時にはコンビを組むことも多く、特訓を二人で行ったこともあります。
仲間からも絆を認められているようで、メリオダス曰く「ま なんだかんだ 良いコンビだったんじゃねーーの?」、エリザベス曰く「ああ見えて 二人は仲良しなんですよ」とのこと。
ただし。
これは私個人の感じ方ですが、この二人の関係は「友達」とは少し違うものだと思います。
作者はこの二人を、徹頭徹尾、エレインを介した「義兄弟」、即ち身内・家族として描いているように見えるのです。
それは、騎士団時代のキングがバンの生活指導係・フォロー役のような立ち位置だったことや、第二部序盤の<大罪>を抜けたバンに説教しながら付いて行って連れ戻そうとしたエピソードによく表れているでしょう。
キングの外見がバンより幼いために混乱しそうになりますが、彼は「バンの口うるさくて融通のきかない、少し心配性の
『エジンバラの吸血鬼』には、不死身の吸血鬼達の群れる敵地に単身で先行したバンを案じて、キングがぽつりと「心配だなァ…」と保護者めいた台詞を漏らす場面もありました。
騎士団時代のバンは、付きまとって説教するキングに辟易して「クソデブ」「マジ殺す」とうざがって憚りませんでした。王国中のヌイグルミを盗んだバンを懲らしめようとキングが本物の狼を一匹紛れ込ませ、噛みつかれてキレたバンが、キングを簀巻きにして狼の群れの中に蹴り落としたという、かなり過激な応酬もあったそうです。
しかし第二部になると、キングの説教自体には然程の拒絶を示さなくなり、「俺の世話を焼く暇があんなら<豚の帽子>亭に帰れ♪」と穏やかに言い返していました。
(一方的ではあれ)今まで彼に世話を焼かれていたと認めてやる、心の余裕ができたんですね。
キングがエレインの兄だと判明したことで認識が変わったのでしょうし、騎士団時代はまだアラサーの若者でしたが、今はもう40過ぎの大人ですから、精神的に落ち着きが出たということかもしれません。
13巻おまけ漫画では、ごく真面目な顔でキングを「お
キングの方も、第118話で、妖精族とディアンヌ、そして
面と向かって言うのは未だ複雑なようですが、互いに
故に、キングと(彼の妻になるだろう)ディアンヌが二人でバンの服を選んでプレゼントするエピソードにも、家族の絆の構築という、エレインが架けてくれた、未来へ続く意味が見えてくるように思うのでした。
バンとエレイン
作者曰く、バンは巨乳には興味がないそうです。だからディアンヌやエリザベス、ジェリコら、周囲の胸の大きな女性にふらつくことも、裸に目を奪われることも全くない、と。
一方で「ぺったんこ」の胸は「全然アリ♫」だそうですが、では薄い胸そのものが好みなのかと言えば、少し違うように思います。
元々彼は、女性の胸の大きさに興味など持ったことがなかったのでは。人と深くは関わらず、肉体のみの触れ合いすらしてこなかったというのですから。
それが、エレインと出逢ったことで初めて「ぺったんこ」は「全然アリ♫」に変わった。彼女が、バンの女性の好みの基準になったのだと思います。
バンの恋人エレインは、物語開始時点で死亡しています。
バンは死者の都で彼女の亡霊に再会して以来、彼女を生き返らせるという途方もない夢に取り憑かれ、そのためならばと、今生きている親友のメリオダスさえ殺そうとしました。
その方法は棚上げしたものの、今度は後ろめたさからメリオダスの側にいられなくなり、<大罪>を抜けて、エレイン復活のためだけの旅をする決意をします。
顛末を察したエレインの兄キングは、「キミがエレインのことを そうまで想ってくれるのは嬉しいよ 正直」「でも妹は死に 妹の守り続けた森は焼け落ちた それが現実だよ」と哀しげに述べ、メリオダスの元から去ろうとする彼を引き留めようとしました。
キングの言葉は現実的です。命は失われれば戻らない。どんなに悲しかろうと、それが世の自然な
……と、個人的には思いそうになってしまうのですが。
ネタ元のアーサー王伝説では、エレインはバンとの間に騎士ランスロットを産む人物であり、ランスロットは作者が構想する『七つの大罪』次世代編のメインキャラクターの一人らしい。
以上から、バンの願い通り彼女は生き返り、彼と結婚して子供を産む。これは確定事項なのですよね、もはや。
となると、いかに呪わしくない形でエレインを生き返らせるかが重要になるかと思いますが、どんなことになるのか…。
女神族に復活させてもらう?
いえ、生き返らせる見返りに親友殺しを依頼する者に従うのはどうなのか。
ドルイド族の「死者使役」を使う?
いえ、あれは死体を邪術で起き上がらせているに過ぎず、本当に生き返ったとは言えないでしょう。また、術者に操られる恐れがあります。
ジェリコの魔力が実は時間操作で、エレインの遺体の時間を巻き戻すなどして生き返らせてくれる?
最も健康的な感じはしますが、そもそもジェリコの魔力は本当に時間操作なのか、未だ判っていません。
現時点で出された要素では、なかなか難しい感じですね。
ほぼ妄想の予想を一つ挙げるに、最終的に妖精族関連のところに戻ってくるのかも?
というのも、原作者監修の3DSゲーム『七つの大罪
ギリシアの英雄オルフェウスが死した妻エウリュディケを取り戻すべく冥界へ降り、シュメールの女神イナンナが死した夫ドゥムジを取り戻すべく姉の治める冥界へ旅したように、死した愛しい者を取り戻すなら冥界へ乗り込み、試練を超え、冥王を説得・あるいは出し抜くのが伝承の昔からの定番です。
とは言え『七つの大罪』では序盤に死者の都へ行ったので、そちら方向への展開はないんだなと思っていました。
けれど、冥王が妖精王一族だと言うなら、死者の都へ乗り込む展開も、まだ目がありそうではないですか。
……なんて。
死者の都での冒険譚は『
全く違う、予想もつかない方法で、エレインは甦るのかもしれません。
そういえば、エレインの復活関連で気になっていることがあります。
亡くなる時、彼女の胸には ぽっかりと穴が開いていました。背中まで貫通し、背後の景色が見えるくらい大きなものです。ところが第二部序盤に出てきた、彼女の全裸の遺体の胸には、穴なんて全くなかったのです。
作者が言うに、死者使役で蘇ったヘルブラムの胸には、ハーレクイン(キング)に穿たれた穴が開いたままになっているそうです。
考えてみれば当たり前です。死体の傷は治りません。…治らないはずです。
なのにどうして、エレインの遺体の傷は塞がっているのでしょうか?
バンが、
それとも。実は仮死状態なだけでエレインの体は生きていて、植物のように20年かけて自力で再生した?
さっぱり予想はつきませんけれど、何かの伏線なのでしょうか。
彼女が復活し、バンと幸せな家庭を築く日を楽しみに待ちたいと思います。